“努力が報われる”って信じたいか? | オカンは“報われんでもメシは食える”で生きとった話

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あんた、今こんな風に思ってへんか?

頑張ってんのに結果が出ぇへん

努力してるつもりなんに、誰も認めてくれへん

なんかもう、自分が情けないわ…

――そうやって、泣いてんの、あんただけちゃうで。

世の中、よう似た夜を過ごしてる人、いっぱいおるんや。

せやけどな、それでも明日になったらまた、

頑張らなあかん」って自分にムチ打って、歯食いしばって生きとる。

けどな、ほんまにそれ、“正解”なんか?

オカンは言うてたで。

**「努力したら報われる?アホか。そんな甘ないわ。けどな、報われんでもメシは食えるんや」**

ってな。

明日を生きる理由、それだけで上等や

自分が30歳手前の時、会社でめっちゃ空回りしてたんよ。

呼ばれたらすぐ走る、頼まれたら「ハイッ!」言うて笑うて。

どんなムチャ振りも「自分やります」って無理して手ぇ上げて。

…せやけど、どんだけ頑張っても、何も変わらんかった。

頑張ってる自分」にすら、自信が持てへんようになってた。

ある日、とうとう心がぷつんと切れて、なんにも言わんと実家に帰った。

ちゃぶ台囲んで座ってても、なんか落ち着かへん。

しばらく黙ってたけど、我慢できんようになって、ポツリと口開いた。

なあオカン、なんでやろな。頑張ってんのに、なんも変わらんねん…

気ぃついたら、声が震えてて、目から涙こぼれた。

情けない話やけどな。

そしたらオカン、みそ汁すすりながらボソッと言うてん。

「は?そんなん当たり前やろ。努力したら全部うまくいく?そんなアホなこと、誰が言うたん?」

一瞬、何言われたか分からんかった。

顔あげたら、オカンがにやっと笑って言うてくれた。

「報われんでもメシは食える。それって、ものすごいことやで。」

呆然としてた。そしたらオカン、続けてボソッとな。

「“今日もちゃんと食えた”、“ちょっとでも笑えた”、“まだ生きてる”それだけで上等や。
上出来や。明日も生きる理由は、それで十分やろ。」

その言葉が、心の底に、じんわり染みてきたんよ。

仕事で評価されへん自分。

何者にもなれてへん自分。

そんなん、どーでもええやんって、はじめて思えた。

何かにならな”って焦ってたけど、オカンは、“生きてるだけでええ”って、
笑いながら言うてくれた。

それがどれだけ救いやったか。

今でも思い出すたび、泣きそうになる。

「“今日もしっかり食えた”って、それだけで十分生きとる証拠や。

“努力=報われる”は幻想やで

オカンの言うとること、最初はピンとけぇへんかった。

でも今ならわかる。

報われたい」って気持ちって、結局、他人からの評価とか、結果ありきやん。

自分の頑張りを、誰かに“合格”って言うてもらわな納得できへんって状態や。

けどそれって、自分の人生を他人に預けてるようなもんやんか。

オカンはそんなもん、まったく興味なかった。

「あんたが自分で自分を合格にしたらええねん」

「自分に“今日もようやった”って言えたら、それでええ」

ってな。

オカンの金言がくれたリフレーミング

それからは、「頑張る」の使い方をちょっと変えた。

頑張る=結果を出す」やなくて、

頑張る=今日もようやったわ、って思える自分でいるっていうふうにな。

・仕事でヘマしても、家帰ってちゃんとメシ食えたら合格

・落ち込んでても、コンビニのアイスでちょっと笑えたら勝ち

・寝る前に「今日もしんどかったけど、生きたな」って思えたら、それで十分や

これ、全部オカンから教わったもんや。

ほんで、あんたに言いたいことがある

努力が報われへん夜は、ほんまにつらい。

誰にも気づかれへんとき、自分だけ取り残された気になる。

もう無理や…」って思うこともあるやろ。

でもな、そんときはオカンの言葉、思い出してみてや。

「報われんでも、メシは食える」

この言葉には、「結果なんて気にせんと、生きときゃええって優しさが詰まっとる。

せやから、どうか自分を責めすぎんといてな。

アンタ、ほんまようやっとるで。

しんどくなったら思い出してや

  • 努力=報われる”って信じるのはええことやけど、信じすぎて自分を潰したら元も子もない
  • 報われへん夜こそ、「今日もしっかり飯食えたで自分に花丸つけたって
  • オカンの金言、「報われんでもメシは食える」は、あんたの心をそっと守ってくれるで

【免責事項】

本記事は筆者の個人的経験と考え方をもとに書いたものであり、医療・心理的アドバイスを目的としたものではありません。心身に不調を感じた際は、専門機関へのご相談をおすすめします。

 

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