「自由に働く」って言うけど、オカンは“毎朝弁当作ってパート行っとった”で|見えへん努力と、静かな誇りの話

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“自由な働き方”に疲れてへん?

自由に働く」って、よう聞くようになった。

時間も場所も、服装も縛られんと、自分のペースで働ける。せやけどな、それってほんまに“自由”なんか? 

今の若い子らは、自由の裏にある「全部自分で決めなあかんプレッシャー」に、ひそかに潰されそうになってるんちゃうかと思うときがある。

・フリーランスって名乗ってるけど、休んだら不安でたまらん。

・「好きなこと仕事にしててええな」って言われても、実はギリギリで生きてる。

・SNSで楽しそうに見える働き方に、なんとなく自分を比べてしんどなる。

そんな夜にふと浮かぶんが、うちのオカンの姿や。

「自由に働く」って言うけど、オカンは“毎朝弁当作ってパート行っとった”で

頑張るって、派手やない。けど、尊いやん

うちのオカンは、ずーっとスーパーの総菜コーナーで働いとった。

朝は5時に起きて、オヤジと自分らの弁当作って、洗濯回してから出勤。

帰ってきたら晩飯の準備して、風呂沸かして、ちょっと座ったらウトウト。

ほな寝たらええのに、オカンは「子どもら寝てからが自分の時間やねん」言うて、テレビの前でせんべい食べながら笑てた。

派手な夢とかは言わへん。

SNSもブログも持ってへん。

せやけどな、その背中には“誇り”があった。静かな、ええ顔しとった。

「自分の時間がない」んちゃうねん。「誰かのために使う時間がある」だけや

高校生のときや。

オカン、なんでそんなに毎日頑張れるん?って聞いたことがあった。

ほんならオカン、あっさり言うてん。

「そんなん、“自分が選んだことやから”やで」

え? 選んだ? パートも? 家事も? 弁当も? 

もっと楽したいやろうし、寝たい日もあるやろうに、なんでって思った。

そしたら笑いながら一言。

「ちゃうちゃう、“楽な道”を選んだんやなくて、“誰のために生きたいか”で選んだんやで。自由て、自分勝手やないねん。誰かのこと想て、そっちに時間使うんも立派な自由や」

…そっか、って思たわ。

自由」って、ひとりになることやなくて、“誰かと一緒に生きること”なんかもしれん

自由”の定義、誰が決めたん?

今の時代は「自分らしく」「好きなことで生きるって言葉がキラキラしとる。

それはそれでええと思う。

せやけど、昭和のオカンは、たぶん言うやろな。

「自分らしさって、毎日ちゃんと生きてるだけで、出てまうもんや」って。

わざわざ誰かに見せんでも、ようやってる。

ちゃんと生活しとる。それがもう、立派な“働き方”や。

オカンの金言まとめ

・「選んだことに迷いすぎんでええ。自分で決めたなら、それが正解や

・「誰かのために使う時間は、損やないで

・「自由って、“好き勝手”やなくて、“誰かのために時間を使うこと”やと思うわ

・「自分が笑えてたら、それで十分ええ人生や

明日からできる、小さなこと

自由に働く」って言葉に疲れたとき、こんなことしてみて

  • 深呼吸して、「誰のために働いとるんやろ」って考えてみる
  • SNSからちょっと距離おいて、自分のペース思い出す
  • オカンみたいに、今日を“笑って終わる”ことを大事にする
  • ちゃんと寝る」「ちゃんと食べる」も、立派な自己管理やで

あんたは、もうようやっとるで

自由”って聞くと、ついカッコつけたなるけど、ほんまの自由は「選んだことに誇りを持つ」ことや。

うちのオカンは、毎日同じような日々を“ちゃっちゃと済まし”ながら、

しっかり家族守ってた。誰に認められんでも、自分で「これでええねん」って思てた。

そんな生き方が、今になって胸にしみる。

自由に働く」って、オカンが一番ちゃんとやってたんかもしれん。

【免責事項】

※本記事は筆者の実体験と主観に基づくものであり、医療的・心理的なアドバイスを目的としたものではありません。心身に不調を感じる場合は、専門の医療機関やカウンセラーにご相談ください。

 

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