最近、よう聞くようになった言葉「タイパ」や。
タイムパフォーマンスってつまり“時間あたりの効率”やな。
動画見るんも、買いもんするんも、なんでも“いかに早う、
でもな、そんなんに疲れてまう夜、ないか?
朝起きて、メイクしながらYouTube。
ごはん食べながら仕事の返信。
移動中は英語のリスニング。
なんかしてないと、焦る。
じっとしてると、自分が止まってる気いして、怖い。
けどな、オカンはこう言うてたんや。
「ごはんにふりかけかけて、黙って食べてる時間が、一番ええんやで」
ほな、今日はその話、させてもらうわ。
タイパばっかり気にしてたら、“今”がスカスカになるで
“効率”って、ほんまに自分を幸せにしてるん?
確かに、効率は大事やで。
でもな、それが自分の心を削ってたら、ほんまに意味あるんか?
どんだけタイパよく生きても、
“何をするか”も大事やけど、“どんな気持ちでやるか”は、
オカンが言うてた。
「急いだって、おいしさは増えへんよ」って。
それは料理の話ちゃうねん。人生の話や。
昭和オカンと「ふりかけごはん」の金言
小学生のときやった。
朝バタバタしてて、パン食べながらランドセル背負って、
オカンが言うてきたんや。
「アンタ、座って食べい。ごはんはな、
今思えば迷信かもしれへんけど、オカンの目は本気やった。
「時間ないねん!」って言うたら、
オカン、こう言うた。
「ほな5分早よ起き。ごはん食べる時間まで削ったら、
それからや。
ふりかけごはんと、味噌汁だけの朝でも、
あの時間が、今でもなんか、支えになってる気ぃすんねん。
“タイパ”に疲れたときこそ、ふりかけごはんの精神でいこ
効率を求めることが悪いわけやない。
せやけど、それに追われすぎて心まで削られたら、意味あれへん。
そこでな、オカン式“心のタイパ”術を紹介するわ。
「ながら」をやめて、ひとつずつ味わってみる
ごはん食べるときは、ごはんだけ。
お風呂入るときは、スマホ置いて、ぬくもりだけ感じる。
そんな小さい「だけ」の時間が、心を整えてくれるんやで。
2分でもええ。ぼーっとする時間、作ったってや
ふりかけごはん食べながら、窓の外ぼーっと眺める時間。
なんもせん、なんも考えへん、せやけど、ちゃんと“生きてる”時
そういうのが、ほんまは一番タイパええのかもしれん。
3. 心の声、聞こえてるか?
「これ、ほんまにやりたいこと?」
「いま、自分は楽しいんかな?」
ちょっと立ち止まって、自分に問いかけるクセ、つけてみ?
オカンは言うてたで。
「あんたのペースで生き。人の速さに合わせんでええやで」
最後に聞いて
効率も、成果も、ええ。
でもそればっかり追いかけてたら、気づいたら“自分”おらんよ
ふりかけごはんは、決してごちそうやなかったけど、なんかあの朝は、心があったかかった。
せやから今日、疲れてるあんたに言いたい。
「何もせん時間も、生きてるってことやで」って。
明日も、うまいこと生きようとせんでええ。
“楽しむ”だけで、ええんやで。
もし今、タイパの波に呑まれて、しんどなってるなら。
せめてこの記事を読んでる5分間くらいは、
アンタはアンタの速さで、生きてええんやで。
【免責事項】
※本記事は、医療・
心や身体の不調が続く場合は、
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