明日も頑張らなあかん、って夜がある
今日もギリギリまで仕事して、明日もまた朝からやることだらけ。
周りはちゃんとしてるのに、自分だけが置いてかれてる気いして。
誰にも頼られへんくせに、誰かを喜ばせようとばっかして、
ふと一人になったとき、ズンとしんどくなる。
「明日も頑張らなあかん…」
そんな気持ちが、じわ~っと胸の奥で鳴っとる。
ほんでな、そんなときに限って、
大事やと思ってた人が”スッと離れていったりすんねん”。
理由もようわからんまま。
返事もこんようになって、連絡せなよかったかなとか考えすぎて、
「なんか、自分が悪かったんかな?」って、また自分責めてまう。
でもな――
そんな夜に思い出してほしい、うちのオカンの金言があるんや。
「流れてええもんもあるんやで」ってオカンは言うた
あれは大学2回のときや。
めちゃくちゃ好きになった人がおって、
いっしょにカラオケ行ったり、夜中まで電話したりしてて、
「あぁ、これ両想いやろ」って勝手に思いこんでたんよ。
でも、ある日急に「ちょっと距離置かん?」って。
理由も言われんまま、スーッと消えてしもた。
毎晩、布団の中で泣いてた。
「自分のどこがあかんかったんやろ…」って、
結構きつかったで。
家に帰って風呂入って泣いてたら、洗面所からオカンが急にぽそっと言うた。
「あんた、ちょっと泣きすぎやで。泣くんも大事やけど、涙だけやったらすっきりせぇへんで。」
「心の中に無理に抱えとっても、何にもならんもんがあるんや。垢と一緒や、流れてええもんもあるんやで。」って。
最初、なんの話かわからんかった。
「え、急に風呂場で人生論?」って思たけど、
その言葉、ズシンと心に刺さって離れへんかった。
あの人のこと、好きやった。大切に思ってた。
でも、それが“流れていくもん”やったら、
無理してすがらんでもええんやって、初めて思えたんよ。
“頑張る”って、手放せん自分への呪いやったんかもしれへん
「頑張る」って言葉は、ほんま魔法みたいや。
人を元気にすることもあるけど、
反対に、しんどいときは自分を追い込む刃にもなる。
「頑張らな、嫌われる」
「ちゃんとせな、置いてかれる」
「泣いたらあかん、情けないから」
そんなふうに、心の奥で自分に命令してまうねん。
でもな、オカンはいつも言うてた。
**「頑張るのも大事やけど、
焦ってバタバタしてるときほど、
その姿見て、「あぁ、走らんでもええんやな」って思えた。
明日を軽く生きるための小さなヒント
明日も頑張らなあかん――
そう思う夜こそ、“楽に生きるコツ”を思い出してな。
◆深呼吸3回して、スマホ閉じる
人のSNSばっか見てると、しんどなるで。
今を生きてるあんたを、ちゃんと見たって。
◆「あの人おらんとあかん」→「今の自分も悪くない」に変換
離れてった人に、自分の価値まで持ってかれんでええんや。
◆頑張りすぎた自分に“ご褒美”を
コンビニスイーツでも、昼寝でも、「頑張らんでもええ」って言うてあげる時間つくってな。
あんたは、ようやっとる
あの人が離れてっても、
うまくいかん日が続いても、
焦っても、泣いても、落ち込んでも――
あんたは、ようやっとるんやで。
それがなかなか自分では気づかれへんから、
今日ぐらい、オカンの言葉借りて伝えたかった。
「流れてええもんもあるんやで」
「のんびりした奴が最後に笑うんやで」
この言葉が、ちょっとでもあんたの明日を軽くできますように。
しんどくなったら思い出してや~
- 「明日も頑張らなあかん」と思う夜は、誰にでもある。
- 自分を責めてまうときこそ、“流れてええもんもある”っていう視
点を。 - 昭和オカンの金言は、しんどい夜の処方箋。
- 自分の心にちょっと優しくしたるだけで、明日は変わる。
【免責事項】
本記事は筆者の個人的体験と解釈に基づいたものであり、医療・
コメント