「お前に期待してるで」って言われてもなぁ…。
上司の目、見られへんかった。
なんでか分からんけど、視線を合わせるのが怖かったんよ。
「期待してるからな」って言われたとき、心がスーッと冷えていった。
プレッシャーやったんかもしれん。
でもな、それだけちゃうかった。
“期待される”ことに、慣れてへんねん。
誰かにちゃんと見てもろて、「あんたに頼りたい」なんて言われたこと、あんまりなかったから。
その言葉が嬉しいどころか、逆に苦しかってん。
「ほんまに自分って、期待される価値あるんかな…?」
夜、電気も消せんまま、ベッドの中でじーっと天井見つめてた。
何も考えたくないのに、頭の中だけグルグルまわる。
自分のこと、どんどんわからんようになってくる。
もし「自分の進む道がこれでええんか分からん…」って夜に悩んでるなら、
『人生の正解がわからん夜、オカンが言った「道はあとで名前つけたらええ」って話』
も読んでみてな。
迷いながらでも、ちゃんと道はできていくもんやで。
しんどい時ってな、ほんまは”優しい”はずの言葉が、なんか”ザラッ”として刺さることあるんよな。
悪気がないぶん、余計に。
そんなふうに、心がパンパンに張り詰めてたある日。
ふと、オカンの言葉を思い出してん。
信じてくれる人がいるだけで、救われる夜がある
「信じてるで」って言葉、最後に聞いたんいつやろう。
どっかで置き去りにしてもうた感情。
けど、ほんまは誰かに「信じられてる」って思えるだけで、踏ん張れる日ってあるんよな。
期待の言葉がプレッシャーになる理由
「期待してるで」って、一見あたたかい言葉に見えて、実はめっちゃ重たいときあるんよな。
“それに応えなアカン”って、自分で勝手にプレッシャー感じてまう。
できひん自分がバレたとき、「裏切ってもた」って思うこともある。
ほんまは、自分で自分に一番プレッシャーかけてんのやけどな。
「頑張らな、頑張らな」って追い込んで、しんどなってまう。
オカンの言葉がなかったら、たぶん、そのプレッシャーに押し潰されてたと思うわ。
オカンの「信じとったらええ」って言葉
高校生のときの話や。
進路も決められへんし、兄貴らと比べられるのもイヤで、夜中、ついオカンに愚痴ってもうたんよ。
「どうせ俺なんか、なんも期待されてへんやろ…」
そのとき、オカンは茶碗洗って背中向けたまま言うた。
「期待なんかしてへんわ。信じとったらええんや。」
は?って一瞬思ったけど、その言葉、深く刺さった。
「アンタがどんな道選んでも、うまくいかんでも、ウチはずっと見てる。信じてる。それだけでええやろ。」
“期待”より“信じる”や。
あれが、オカン流の愛情表現やったんやろな。
あの夜のこと、今でもはっきり覚えとるわ。
頑張らんでも、信じてくれてる人がちゃんとおる
ついつい、「結果出さな」「期待に応えな」って思ってまうけどな、ほんまは、頑張らんでも「信じてる」って言うてくれる人、おるんよ。
そういう人の存在、忘れんようにな。
明日がしんどい人に届けたい小さなヒント
・深呼吸して、「まぁ、なんとかなるか」って声に出してみて。
・自分を責めるより、「あれ?今日はようやったかも」って認めたって。
・しんどかったら誰かに話してみる。オカンみたいな人、意外と近くにおる。
・結果よりも、“やろうとした自分”をまず褒めたって。
「信じてるよ」って言葉、誰かに言うてみて。
それは自分にも返ってくるから。
“期待してるで”って言われても、自分には無理や…
そんな風に感じてる人にこそ、伝えたいんや。
オカンの言葉、「信じとったらええ」。
それだけでええねん。
ええようにいかん日もあるし、しんどいときもある。
せやけど、”信じてくれてる人”が一人でもおったら、それでええ。
今、ひとりで不安な夜を過ごしてるあんたへ。
ほんまにようやってると思う。
無理して笑わんでええ。
誰かが信じてくれてるって思うだけで、明日の朝、ちょっとは目を開ける気になるから。
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“信じてれば叶う”って、誰が決めたんや!叶うんが目的ちゃう、信じることが一番大事なんやで|“まだまだやらな”の代わりに“ようやってるよ”を選んだ話
自分を大切にするヒントがきっと見つかるはずやで。
【免責事項】
※本記事は筆者の経験および創作を交えたエピソードをもとに執筆しており、医療的・心理的アドバイスを目的としたものではありません。
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