人間関係に疲れたとき、オカンの“消しゴム持ちすぎやわ”が心を軽くする話

心がラクになる習慣

なんでか分からんけど、「なんか自分ばっかり悪い気がする…」って、心がズーンと重たくなること、ない?

人間関係ってほんまにややこしいし、どれだけ気ぃつかっても、うまくいかん時ってあるやん。仲良かった友達とギクシャクした時なんか、胸の奥がじわ~っと痛くなって、「自分が全部悪かったんかな」って、つい自分を責めてしまう。

謝ったほうがええんやろなとは思うけど、なんで自分だけが反省してるんやろ…って、自己否定のループから抜け出されへん夜もある。

そんな時、うちのオカンがかけてくれた言葉が、今でも心に残ってるんや。

もし今、同じように悩んでるあんたがいるなら、この先の記事は、そんなあんたの心にそっと寄り添う内容やから、ぜひ読んでみてな。

失敗も自分の一部、オカンの「消しゴム」理論とは?

ふとした瞬間に思い出すんや、オカンの言葉。
アンタな、消しゴム持ちすぎや。
最初は何のことか分からへんかった。でも、その後の言葉が、胸にズシンと響いた。

なんでもかんでも自分のせいにして、“間違った”言うて消して、なかったことにしてしまうやろ。でもな、それも全部、アンタの一部なんやで。
オカンの“消しゴム”理論は、失敗とか恥ずかしい思い出を消してばかりいると、大切な自分自身までなくなってしまうんやって、そういうことやった。

完璧を求めて、他人と比べて、自分を責めて、うまくいかんことはなかったことにしてしまう。そんなふうに自分の弱さや失敗を消そうとすればするほど、「本当の自分がどんどん薄れていってしまうんや。

でもな、うまくいかんかった自分も、情けない思いをした自分も、全部が自分の一部やねん。消しゴムで消そうとせんと、「これも自分の人生やな」って、まずは認めてあげてほしい。

たとえば、昔の自分がした小さな失敗や、誰にも言えずに抱えてきた後悔も、今のあんたを形作ってる大事なピースやと思うんよ。

こんな自分はあかん」って切り捨てるんやなくて、「あの時の自分も、今の自分にちゃんとつながってるんやな」って、失敗した今までの自分にも寄り添ってあげて。

そうやって過去の自分を否定せずに受け入れることで、少しずつ心の重荷が軽くなっていくんや。
失敗した自分も、頑張ってたんや」って思えたとき、今まで気づかへんかった自分の優しさや強さにも、きっと出会えるはずやで。

つまずいた時、つい自分を責めてしまうあんたへ

人間関係でちょっとでもつまずいたら、すぐに「自分が悪かったんちゃうかな」って思ってしまうこと、ないかな?
友達とギクシャクしただけで、「あの時の言い方、きつかったかな」とか、「もっと気ぃつかえばよかったんかな」って、後になって何回も考えてしまう。

反省すること自体は、決して悪いことやない。でも、ほんまは相手にも非があるかもしれへんのに、なんでもかんでも全部自分のせいにして、「自分さえ我慢すれば、また元通りになれるかもって無理して笑ってしまう。
でも、そんなことを繰り返してたら、だんだん「自分の存在自体が間違ってる」ような気がしてきて、どんどん心がすり減ってしまうんよ。

オカンが言うてたわ。
自分の“間違いを消そうとする”クセが、心をすり減らしていくんやで。

人に嫌われるのが怖くて、気まずくなるくらいなら「自分が全部悪かったことにした方がラク」やって思い込んでしまう。でも、それは本当の自分をどんどん消してしまう行為なんや。

失敗も、恥ずかしい思い出も、傷ついた心も、全部あんたの人生の色やんか。消そうとせず、「それでもええやん」って、自分にそっと優しい言葉をかけてみて。

誰かに誤解されたまま終わってしまった会話や、どうしても許せなかった自分の弱さも、その時その時に精一杯やった証拠なんやで。うまくできんかった自分も、その時は一生懸命やったんや」って認めてあげることで、心のしんどさが少しずつほぐれていくもんや

完璧やなくても、間違えても、あんたはあんたのままで十分価値があるんやで。
どんな自分も否定せず、「これも自分や」って受け入れてみてや。きっと心が少し軽くなるで。

消しゴムで消したくなった過去と、心の痛み

小学校からずっと一緒におったツレと、高校入ってすぐ、ほんまにしょうもないことで喧嘩してもうてん。今思えば、どっちが悪いとか、そんな大げさな話やなかったはずやのに、気づいたら疎遠になってしもてた。高校も別々やったから、自然と顔を合わせることもなくなって、連絡もせんまま、時間だけが過ぎてった。

毎日がバタバタと流れていくなかで、ふとした瞬間に「あの時、なんであんなこと言うてもうたんやろ」とか、「自分がもっと大人やったら、あんな風にはならんかったんちゃうかな」って、胸の奥でなんかひっかかることが増えていってたんや。

ほんまは、あの時の自分も、相手も、どうしていいか分からん年ごろやっただけかもしれん。けど、気がついたら「やっぱり自分が悪かったんやろか」って、全部自分のせいにしてしまう日が増えてた。

ほんでな、ある日、家で何気なくつぶやいた。
やっぱ、自分が悪かったんかな…」って。
その声は思ったよりも弱々しくて、自分でもびっくりしたくらいや

その時、台所で洗いもんをしてたオカンが、こっちも見ずにボソッと言うてきた。
アンタな、また消しゴム持っとるやろ。

なんのことか分からんまま黙ってたら、オカンは手を止めずに静かに続けた。
なんでもかんでも、自分のせいにして、“間違った”言うて消して、なかったことにしてまうやろ。それ、アンタの一部なんやで?失敗も、伝わらん優しさも、噛み合わん気持ちも、ぜんぶアンタの人生の跡やろ?消さんでええねん。

オカンはそれ以上何も言わんかったけど、その背中がなんや大きく見えたで。
それ聞いた時、自分の中で、何かが動き出した気がしたんよ。今まで必死で消そうとしてた「間違い」、ほんまは、その消そうとしてる跡も、自分が生きてきた証なんやって、初めて気づかされたんや

消しゴムを手放した日――自分を受け入れる勇気

その時、初めて分かったんや。自分が一番苦しかったのは、喧嘩したことやなくて、「自分を消そうとしてたこと」やったんやって。

あの時の自分は、不器用で、うまく言葉にできへんかった優しさや、伝えきれんかった思いも全部、消しゴムで消してしまいたくて仕方なかった。でも、オカンの言葉を思い返すたびに、気づくようになってん。
うまくいかん過去を消し続けてたら、ほんまに自分がいなくなってしまうんや」って。

それからや。失敗も、うまく伝わらんかった気持ちも、全部が自分の人生の証なんやって、少しずつ受け入れられるようになったんは
最初はなかなかうまくいかへんかったけど、それでも過去の自分を否定せんと、「あの時も、今も、精一杯生きてきたんやって思えるようになった時、心の重荷がちょっとずつ軽うなっていった。

今でも、ふとした瞬間に「あの時、もっとこうしてれば…」って後悔することはある。でも、その度にオカンの声が頭の中で響く。
消してばっかりおったら、ほんまに“自分”無くなってまうで。

もし今、あんたが同じように自分を責めてしんどくなってるんなら、どうか、そのままの自分を、消さずに大事にしてあげてほしい。失敗も、うまくいかんかった日も、その全部があんたが生きてきた人生の大事な足跡なんやで。

そのままの自分でおってええんやで
オカンのその言葉が、今もオレの背中をそっと押してくれる。

せやから、あんたもどうか、自分のことを消さんといてな。それがきっと、ほんまの意味で“自分の人生を生きる”一歩になるんやと、信じてるから。

全部、許せんでもええ、けど自分だけは許したって

もう一回、言わせてほしい。たとえどれだけ後悔の残る過去があっても、うまくいかんかった自分も、弱さを見せてしまった自分も、全部ひっくるめて「それが自分なんや」って、どうか受け止めてあげてほしい。

あの頃のオレも、不器用で、最後まで伝えきれへんかった想いを、まるごと消し去りたくて仕方なかったんや。
でもな、それこそが一番、自分を苦しめてたんやと思う。失敗や弱さやなくて、「こんな自分なんか…」って、自分自身を”否定してたことが。

オカンの言葉が、今でも忘れられへん。
消してばっかりおったら、ほんまに“自分”無くなってまうで
この意味が、ようやく今になって、ちゃんと分かってきたんや。

うまくいかんかった日も、悔しくて眠れんかった夜も、誰にも言えんまま飲み込んだ想いも、全部がオレっていう人間を形づくってる。それは、決して無駄やなかったんや。

そら時には、「まるごと消してしまいたい…」って思う日もある。けどな、そんな時は、自分にこう言うんや。
それでも、お前、ちゃんとここまで歩いてきたやんけ」って。

誰にも理解されへんような過去でも、情けなく感じる記憶でも、それを見て見ぬふりせんと、自分の一部として受け止めていくこと。それが、ほんまの意味で“自分を大事にする”ってことやと思う。

完璧である必要なんか、どこにもない。傷ついた自分も、つまずいて立ち止まった日々も、「よう頑張ったな」って、自分にかけるそのひと言が、心をちょっとずつ軽くしてくれるんやで。

これからはもう、自分を責め続けるのはやめにしようや。そして、このままの自分」で生きていくことを、自分自身に許してあげてな。それがきっと、自分をほんまに大切にする、最初の一歩になるから。

ちなみにな、「もう限界かも…」って思った夜、オカンの言葉に救われたことがあってん。
もし今、しんどい気持ちを抱えてるなら、そのときの話も読んでみてほしい。
【逃げてもええんやで!限界感じたアナタに贈る、心の健康を守るための大切な選択|オカンに救われた夜の話】

消しゴムで自分を消さんための小さな習慣

誰にでもあるやん、思い出したくない失敗とか、なかったことにしたい過去って。「こんなん、自分やない」って思って、心の中で消しゴムかけたくなる時もあるやろ。

でもな、その“消したくなる瞬間”って、ほんまはあんたの人生にちゃんと存在してた証なんや。
きれいに整えた記録よりも、ぐちゃぐちゃでも「確かにここにおっ」っていう跡の方が、あんたのことをちゃんと映し出してるんや

過ちも、迷いも、傷ついた日々も、全部あんたの歩いてきた道のりや。「消したい」って思った時こそ、そっと深呼吸して、その記憶に優しく触れてみてほしい。

ここから紹介するんは、そんな“自分を見失わん”ための小さな習慣や。完璧を求めて苦しくなるよりも、少しずつ「これも自分やな」って受け入れていく方が、ほんまに楽になれるで。

今の自分に、ちゃんとこう声をかけたってや。「消さずに残してええんやで」とか、「今のままで、ちゃんと意味があるんやでって。

さあ、あんたの心がすり減る前に、できることから始めてみよか。次のヒントが、きっとその一歩を支えてくれるはずやから。

「今は許せてへんけど、ええねん」って声に出す

今は許せてへんけど、ええねん」って、声に出してみたことある?

人に何かされた時、どうしても「許さなあかん」「早う気持ち切り替えな」「自分も悪かったんやろか」って、ぐるぐる考えてしまうやろ。

謝った方がええんかな、反省せなあかんかな、って自分ばっかり責めて、気づいたら心がクタクタになってる。

でもな、そのループから一回抜けてみてもええんやで。

許せへん自分を責めるんやなくて、「今はまだ無理やわ」って、そのままの気持ちを認めてあげてほしい。
無理に“ええ人”にならんでええし、無理に心の整理を急がんでええ。

今は許せてへん自分も、ちゃんと自分や」って、声に出してみる。それだけで、心の奥に溜まってたしんどさが、ちょっとずつ溶けていくもんや。

人を許すって、ほんまに難しいことや。
裏切られたり、傷つけられたりした気持ちは、簡単に消えるもんやない。もうええやん」って自分に言い聞かせても、心の奥ではまだ怒ってたり、悲しんでたりする。

それでもええねん。
今は許せてへんけど、ええねん」って、声に出して自分に言うてあげてみて。

まずは、「今のままでも、ええかもしれん」って、今の自分を許してあげることから始めてみてほしい。

誰かを許す前に、自分を許すこと。それが、心を守る一番大事なステップやと思う。

しんどい時は、無理して笑わんでええ。無理して優しくならんでええ。

今の自分で、ええやん」って、そっと自分に寄り添ってあげる。それだけで、心が少しずつ軽くなっていくはずやで。

 相手との“距離”を、自分のせいに変換しすぎんようにする

人との距離ができた時、つい「自分が悪かったんかな」「なんか変なこと言うたかな」って、自分のせいにしてまうこと、あるやろ?

でもな、人間関係って自分ひとりでどうこうできるもんやない。相手にも相手の都合や気持ち、タイミングがあるんや。
たまたま忙しかったり、心に余裕がなかったり、ただそれだけのことかもしれへん。

距離ができたからって、必ずしも「あんたが悪い」ってことやない。

自分を責めてばっかりやと、どんどん心がしんどくなってまう。もっと頑張らな」「自分が変わらな」って無理しても、相手の事情までは変えられへん。

ときには、“流れ”に身をまかすことも大事やで。
無理に近づこうとせんと、「今はこういう時期なんやな」って受け入れてみる。それが、相手にも自分にも優しい、ほんまの誠実さかもしれん。

人との距離感は、変わっていくもんや。近づいたり、離れたり、また戻ったり――それが自然なことやねん。

全部を自分のせいにせんと、「今は今のままでええか」と肩の力を抜いてみてな。それだけで、心がちょっと楽になるはずやで。

心の中の“消しゴム”を、一回手放してみる

やっぱり自分が悪かったんかな…そんなふうに思った時、つい心の中の“消しゴム”で、自分の気持ちや行動を消してしまいたくなるやろ?

でもな、ちょっと待って。一回、その消しゴムを手放してみてほしい。

消してしまう前に、「ほんまはどうやったんやろ?」って、自分の気持ちを“書き足して”みるんや。

あの時、ちゃんと伝えようとしてた
ほんまは大切に思ってた
自分なりに頑張ってた

そうやって、自分の中にあった“優しさ”や“思いやり”も、ちゃんと書き加えてみてほしい。

失敗や後悔だけやなくて、そこには「大切にしたかった気持ち」や「うまく言えんかったけど伝えたかった想い」も、ちゃんと残ってるはずや。それって、消してしまうにはもったいない、あんたの大事な一部やで。

間違い」だけを消すんやなくて、「でも、あの時の自分もよう頑張ってたな」って認めてあげる。

消しゴムで全部消してしまうんやなくて、色んな色を重ねていくみたいに、自分の想いも書き足してええんや。

消さんと残してええ想い、きっとたくさんあるはずやで。そのままの自分を、まるごと大事にしてあげてな。

ありのままの自分を、どうか大切に残してあげてほしい

誰にでも、消したい過去や失敗はいっぱいあると思うんや。うまくいかんかった日、情けなく感じた瞬間、正直なところ「なかったことにしたい」って思うよ。
でもな、その“消したい跡”も全部、あんたの人生の一部や。消しゴムで無理に消し続けたら、ほんまの自分がだんだん薄れていってしまう。

オカンはいつも言うてたで。
アンタが“間違えた”と思って消そうとしても、誰かの心にはちゃんと残ってるかもしれへん。それを消すんは、めっちゃもったいないことやで。

あの時のツレのことも、今も時々思い出す。でも、その記憶が苦しみやなくて、あたたかい想いに変わってきた。それはな、自分で無理に消そうとしなくなったからやと思うからや。
人との関わりは難しい。すれ違いや距離ができることもあれば、「また自分が悪かったんかな…」って自分を責めてしまうこともある

でもな、それはあんたの優しさの裏返しや。誰かを大事に思う気持ちが強いからこそ、しんどくなってしまうんや。
もう十分よう頑張ってる。優しすぎるあんたを、今日はゆっくり労ってほしい。今日ぐらいは、心の中の消しゴムをそっと机にしまって、「これも自分の人生の一部や」って認めてあげてな。

失敗も、うまくいかんかったことも、伝わらんかった優しさも、全部があんたの宝物や。間違いも弱さも抱えたままでええんや。それこそが、本当のあんたの強さやから。

最後に、この言葉を、あんたに贈りたい。
よう頑張ってるな、そのまんまのあんたで十分やで。

今日だけは、自分に優しくしてみてや。それが明日を生きる力になるんやで。

最後に、オカンからの手紙

人間関係でしんどい時は、無理して自分を消さんでええ。間違いも弱さも、全部あんたの大事な一部やで。消しゴムばっかり持たんと、そのままの自分でいててな。

――オカンより

 免責事項

※本記事は筆者の体験と感情をもとにしたストーリーエッセイであり、医療的・心理的アドバイスを目的とするものではありません。心の不調や人間関係の悩みが深刻な場合は、専門の相談窓口や医療機関にご相談ください。

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