しんどい夜、肩に背負ってるもん、多すぎへんか?
「明日も頑張らなあかん」って思いながら、布団に入ったこと、
ほんで朝が来るたび、「もっとちゃんとせな」「
せやけど、ほんまはもう限界ギリギリやったりする。
まわりはみんな、うまく生きてるように見える。
自分だけが取り残されてるような気がして、
「
でもな、あんただけちゃうねん。
これは、「がんばり屋で、ちょっと優しすぎるあんた」に、
「明日は“楽しむ”でええ。やりたいこと見つかれへんかったら、“やりたないこと”から逃げとき」ってオカンは言うてた
「頑張ること」は悪いことちゃう。
けどな、「頑張る」がいつのまにか「自分を追い詰める」
生きるって、頑張り続けることやと思い込んでたら、
楽しいことにも鈍くなる。ごはんの味もせえへん。
そんなときこそ、オカンの金言が効くねん。
「“頑張る”って言葉が、知らん間に自分をいじめてまうことあるんやで」
頑張ってるのに結果が出えへん。
人に追いつかれへん。
やりたいことが見つからへん自分が、
そら苦しいわな。
でもな、それって「頑張る」って言葉のせいかもしれへんねん。
「休む」ことも、「逃げる」ことも、「止まる」ことも、
「頑張らな」ばっかりを正義にしてまうと、
ほんまはようやってるのに、
「まだまだ」とか「こんな自分やとアカン」とか言うて、
それ、そろそろやめてもええんちゃうか?
「やりたいことが見つからへん」って泣いたとき、オカンは笑って言うたんや
大学3回のとき、もう大学辞めよかなって思ったねん。
周りは資格の勉強したり、インターン行ったりしてるのに、
そもそも「やりたいこと」ってなんなん?って。
みんな“目標”と
晩飯作ってるオカンこ横でボソッと漏らしたんや。
「やりたいこと、なんもないねん」って。
そしたらオカン、味噌汁の味見しながらこう言うた。
「ほなまず、やりたないことからサッサと逃げとき。ほな、“ちょ
なんやそれって、笑けてきたけど、
それから、無理して行ってたゼミ、サボった。
無理して会ってた人とも、距離置いた。
「逃げたらあかん」って思い込んでたけど、
そうしたらある日、何気なく撮った空の写真を見返してたらジーンときてしもて、
「こんな瞬間を切り取れるってええなぁ」って思ったんよ。
やりたいことって探し回るもんやない。
心に余白ができたとき、そっと入ってくるもんやったんやな。
そんで“残ったマシなもん”で生きとるうちに、
「あ、これ、ちょっと好きかも」ってもんが出てきてな。
気づいたら、誰かに「ありがとう」
すごい夢とか、キラキラした目標とか、そんなんなくてええ。
まずは「これは嫌やな」って思うもんから離れてええんやで。
逃げるんは、負けやない。戦略や。
「頑張る」はええ。せやけど、“楽しむ”こと忘れてへんか?
オカンがよう言うてた。
「一日中ガマンして生きて、ほんでいつ楽しむん?」って。
「人生、長いようで短いねんで」って。
だから、こうしてみぃひん?
- 朝起きたら、自分をちょっと喜ばす予定を入れとく
(今日のごほうびスイーツでも、カフェでボーッとするでも、なんでもええ) - 「なんか嫌やな」って思ったら、無理に付き合わん
(自分の感覚、もっと信じたって) - “やりたくないこと”を書き出してみる
(それが、あんたの人生の“ヒント”になるかもしれへん)
「楽しむ」って、努力せんでもできる瞬間もある。
そこを見つけるのが、ほんまの生き方ちゃうやろか。
伝えたいのは、これだけや。
あんた、もうようやってる。
ひとりちゃうで。
オカンみたいなこと言うけど、
ほんま、無理せんといて。
しんどいときは、逃げてええ。止まってええ。サボってええ。
そっから先の道は、そのあと考えたらええんや。
「頑張らなあかん」って気持ちは、たしかにええことやで。
でもな、がんばりすぎて自分を失うのは、もったいないんや。
あんたの人生は、“誰かの期待を満たすため”にあるんやないで。
“やりたいこと”が分からん夜は、
「やりたくないことから逃げる」っていう、
【免責事項】
※本記事は医療的・
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