会社でな、しんどそうな後輩や同僚には、わりと優しいこと言えるやろ。「気にすんな」「よう頑張ってるやん」って、自然に出てくる。
でも、自分に対してはどうや。「なんでこんなこともできへんねん」「もっとちゃんとせなあかん」って、いちばんキツい言葉を、自分に投げつけてへんか?
あんた、他人にはちゃんと合格点あげるのに、自分にだけは、いっぺんも合格点つけたこと、ないんちゃうか?
この記事はな、そんな「自分を責めてまう」あんたのための、入口や。ひとくちに「自分を責める」言うても、責め方は人それぞれや。せやから今日は、あんたの“責め”に合った話を、オカンの言葉と一緒に、案内させてな。
先にこれだけ言わせてな。もし今、ひとりで抱えきれへんほど追い詰められてるんやったら、専門の人に話を聞いてもらうのも、立派な選択やで。厚生労働省の「こころの耳」では、電話やSNSで相談できるからな。
あんたの「責め」は、どれや?
自分を責めるって、実はいろんな顔がある。下の中に、今のあんたの顔が、きっとある。当てはまるとこから読んでみてな。全部読まんでええ。今のあんたに要る一枚だけで、ええんやで。
◆ 休み明けの朝、仕事に行きたない自分を責めてる
「行きたくない」って思った瞬間に、「逃げてるだけちゃうか」「みんなはちゃんとしてるのに」って、自分を殴ってへんか。行きたないって思うこと自体は、弱さやない。
◆ イラっとした怒りを、家まで持って帰って責めてる
その場では我慢したのに、家に帰ってから「あの時ああ言うたれば」って何回も蒸し返して、そんな自分にまた腹が立つ。それな、考えるほど燃えるんや。オカンの答えは「怒ったら寝とき」やった。
◆ 感謝できへん自分を責めてる
「ありがとう」は口では言えるのに、気持ちがついてこーへん。そんな自分を「人として最低や」って責めてへんか。感謝は義務やない。あふれるもんや。
◆ 怒られてばっかりの自分を責めてる
毎日怒られて、「自分はほんまにアホなんちゃうか」ってなってるなら、これや。あんたの頑張り、ちゃんと見てる人はおる。
◆ 理由もないのに辞めたい自分を、甘えやと責めてる
パワハラも無い、給料も悪ない。「これで辞めたいなんて贅沢や」って自分に言い聞かせてるなら——嫌や思う気持ちも、立派な理由やで。
◆ 過去の後悔で、ずっと自分を責めてる
言えへんかった言葉、渡せへんかった優しさ。それが消えへんのは、あんたがそれだけ大事にしたかった証拠や。
どの「責め」にも、オカンは同じことを言うてた
ここまで並べて、気づいたことがある。悩みの形はバラバラやのに、オカンの答えは、いっつも根っこが同じやってん。それが分かったんは、あの電話の日やった。
仕事で大きなミスをしてしもた日や。しかも、よりによって大事な取引の日やった。上司には怒鳴られ、取引先には何度も頭を下げて、プライドも自信もズタズタになった。
帰りの電車では、魂が抜けたみたいに、ただぼんやり立ってるだけで、自分がどこにおるんかも分からんくらい、心ここにあらずやった。何もかも投げ出したなって、「もうどうでもええわ」って気分で家に帰った。ほんで、無性にオカンの声が聞きとうなって、思わず電話をかけてしもたんや。
電話の向こうで、オカンは深いため息をついて、こう言うた。
その一言に、涙が出そうになった。「ちゃんとせな」「ミスしたらあかん」って、ずっと自分を責めてたのに、オカンは当たり前みたいに、失敗した自分をそのまま受け入れてくれた。
それでも「でも、俺が悪いんや。ちゃんと確認してへんかったし…」って、まだ責める言葉を口にしたら、オカンはすかさず被せてきた。
思わず吹き出しそうになったけど、そのおかげで、少しだけ肩の荷が下りた。
ほんでな、もし今、あんたがあの日と同じくらいへこんでるんやったら——理屈は後でええ。先に、オカンの処方箋を、そのまんまあんたに渡しとくわ。
責めるのを、無理にやめんでええ。責めたまんまでええから、今日はあったかいもん食べて、布団入り。それだけで、今日のあんたのやることは、もう終わりや。この先は、ちょっと楽になった時に読んでくれたらええ。続きは逃げへんから。
ほんでな、後から気づいたんや。オカンの言葉の根っこは、いっつも同じところにある——「人間やもん」や。
行きたない朝があるのも、人間やもん。怒りを引きずるのも、感謝できへん日があるのも、後悔が消えへんのも——ぜんぶ、人間やから、や。
自分を責めすぎる時って、たぶん、壊れへん機械みたいな自分を基準に採点してるんや。ミスせん、サボらん、いつでも感謝できて、引きずらへん——そんな人間、どこにもおらへんのに、それを基準にするから、毎日が0点に見える。
オカンは、その採点表をひっくり返してくれた。基準は機械やない、人間や。人間を基準にしたら、ミスも涙も、責めなあかん欠陥やのうて、生きてる証拠や。
ほんでな、ここからは、オカンが口で言うたことは、いっぺんもない。せやけど、何十年つきあってきて、あの人の生き方が、ずっとこう言うてた気がするんや。
人間やから、人生おもろいんやで。
失敗も込みで、笑えるような生き方しいや。
ほんまに、そういう人やった。しくじった日も、味噌汁に溶かして笑うてる人やった。完璧な機械の人生に、笑うとこなんか一個もあらへん。しくじって、へこんで、ほんで後から笑い話にする——それができるんは、人間だけや。
ちなみにな。あの日のミス、今では笑うて話せるネタや。この前も、職場の下の子に、人生終わったってぐらい失敗した時の話を、したった。「そん時はな、ホンマに終わった、取り返しつかんわ、もうアカンて、ガチで思っててん」って。ほしたら「えっ、そんなことあったんですか」って驚くから、「あんなん思うてたのに、ほら、まだここで生きれてるで」って、笑いながら言うたったわ。
ほんで、この歳になって、分かってきたことがある。失敗が怖なくなるんは、強なるからやない。「あの失敗も、笑い話になった」っていう経験が、積み上がっていくからや。若い時ほど「もうあかん、終わった」って思うのはな、あんたが弱いからやのうて、まだその経験が貯まってへんだけなんや。
せやから、これだけは先に言うとくわ。あんたが今抱えてるその失敗も、いつか、誰かに笑うて話す日がくる。信じられへんやろうけど、ほんまや。先に通った者として、それだけは保証したる。
生きてるだけで、100点や
オカンは昔から、よう言うてた。「あんた、もう十分頑張ってるやん。これ以上、何を頑張るねん?」って。ほんで、こうも言うてた。
「しんどい日は、生きてるだけで100点や」
機械を基準にしたら0点の日も、人間を基準にしたら、ちゃんと100点なんや。他人にはあげられるのに、自分にだけつけられへんかった合格点——今日から、つけたってええんちゃうか。
オカンに電話できる人は、したらええ。できひん人も、おるやろう。それぞれの事情や。どっちも、悪ない。
せやけどな、たぶん、あんたの中にも残ってるはずや。誰かの背中におぶさった記憶。しんどい時に、黙って隣におってくれた誰かの記憶。——その温もりのことを、この記事では「オカン」って呼んでるだけや。ほんまのお母ちゃんでも、ばあちゃんでも、親父でも、先生でも、呼び名は何でもええ。
ほんで、また自分を責めそうになったら、またこのブログに戻ってきてな。
「あんたは機械ちゃう、人間や。完璧やなくてええ。しんどい時はしんどいって言うてええし、泣きたいときは泣いたらええ。無理に元気になろうとせんでええ。オカンは、どんなあんたでも受け止めるからな。」
――オカンより
どうにもならんくらいしんどい時は、ひとりで抱え込まんと、専門の窓口を頼ることも大事な選択やで。
・厚生労働省 こころの耳:https://kokoro.mhlw.go.jp/
・厚生労働省 まもろうよ こころ:https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/


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