「今日も、何んにもできてへんかったな…」
そうやって、ため息ついてへん?
「何んにもできてへん」って感じる日ほど、ほんまは止まってるん
仕事終わり、家に帰ってきて、やろうと思ってたことあったはずや
「また今日も無駄にした」
「自分、全然進んでへんな」
そうやって勝手に自分にダメ出しして、ちょっと落ち込んで、でも
そんで、次の日も同じこと繰り返す。
ほんま、嫌になるループや。
でもな、その「何もできてへん」っていう感覚、ほんまに正しいん
たとえば、5分だけでも何かやった時間とか、ちょっとだけ「やら
「ちゃんとやらな意味ない」
「中途半端ならやらん方がマシ」
そんな自分ルールで、自分の一日を勝手に0点にしてるだけ。
でもそれって、冷静に考えたらちょっとおかしな話や。
1でもやった日は、ほんまは1や。
「止まってる」んやなくて、「進んだことを認めてへん」だけや。
ほんまは少しずつでも前に進んでるのに、自分でそれを打ち消して
「何もできていない」0か100思考の正体
「何もできていない」って感じてしまうのは、ちゃんと理由
一番大きいのは、「やるならちゃんとやらなあかん」っていう思い
この考え方、一見まっとうに見えるけど、実はかなり厄介で、「中
そうすると最初から完璧にできへんって分かってることには、一切
時間がない日、疲れてる日、やる気が出ない日、そういう日って「
これが、いわゆる“0か100思考”や。
でも現実は、1とか5とか10みたいな小さい積み重ねでしか前に
さらにややこしいのが、「見えない成長」を評価できていないこと
ほんの少しでも「やろうかな」って思えたことや、昨日よりちょっ
そういう変化は目に見えにくいけど、本来はちゃんと積み重なって
それやのに、目に見える結果だけで判断してしまうから、「何も変
そこに、他人との比較も重なる。
SNSを見れば、誰かが成果を出してるように見える。
それと比べて、自分の小さな前進は見えへん。
ほんまは比べる必要なんかないのに、勝手に負けた気になる。
「何もできていない」っていう感覚は、現実そのものやなくて、“
やろうと思ってもできない|続かない原因と自己嫌悪の正体
ちょっと前までは、ちゃんとできてたこと。
夜、飯食ったあとに筋トレして、それが当たり前みたいになってた
回数も決めて、今日は腕、明日は胸と背中って、自分なりにルーテ
それが崩れ始めたのは、ほんま些細なことやったと思う。
仕事がちょっと忙しくなって、「今日はいいか」って一回サボった
たったそれだけやのに、そこからズルズルいった。
朝起きた時、やる気はあるねん。
「今日は絶対やる」って思ってるし、頭の中ではちゃんと筋トレし
でも現実は違う。
帰ってきて、飯食って「ちょっとだけ休も」と思って座ったら終わ
スマホ触って、気づいたら時間だけ過ぎてる。
「今やったらまだ間に合う」
「5分でもやればええやん」
そう思ってるのに、その5分ができへん。
「やりたくない」わけちゃうのに、「できへん自分」を見続けるの
「0にしない」だけで人は動き出せる
オカンに話したとき、こう言われた。
「アンタな、“やらんかった日”しか数えてへんやろ」
「それ、自分で自分のこと0にしてるだけやで」
確かにそうやった。
やろうと思った日も、ちょっとでも動いた日もあったのに、全部ま
「1でもやった日は1や。0ちゃう」
この言葉で、見方が変わった。
その日、風呂入る前に腕立てを3回だけやった。
次の日も3回。
続けようとか思わんでええ。ただ「0にせん」だけ。
なんかそれだけで、「今日もまあええか」って思えたし、ちょっと
0にしないだけで、人は止まらんくなる
「何もできてへん日」なんか、ほんまは存在してへん。
できてないように見えてるだけで、1でも2でも、ちゃんと動いて
せやから意識することは一つ。
「0にせん」って決めること。
1分でもええし、「やろうと思った」だけでもええ。
それをちゃんと1として扱うこと。
今日を0にするか1にするかは、このあと少し動くかどうかで決ま
もし、社会に出て感じる現実と理想のギャップに悩んだときは、【社会人の現実に悩むあなたへ|理想と違う時のオカンのアドバイス】も、ぜひ読んでみてな。
きっと、心が少し軽くなるヒントが見つかるはずやで。
最後に:オカンからの手紙
「今日を0にするか1にするかは、あんたが自分をどない評価するか次第や。ちいさな一歩も、ちゃんと自分で丸つけたげてな。」
――オカンより
【免責事項】
※本記事は筆者の実体験と個人的見解に基づいており、医療・

コメント