後悔しない今を生きるために|親友の“ありがとう”とオカンの言葉

心がラクになる習慣

その“後悔”を抱えたまま、今をほんまに大事にできてる?
仕事の帰り道、ふとあの頃の自分を思い出したこと、ない?

あの時、もう少し頑張ってたら」とか、「ちゃんと想いを伝えとけばよかったな」って。
笑って過ごしてるはずやのに、心のどこかでまだ引っかかってる“あの後悔”。
時間が経つほど、胸の奥のほうでじわっと重たくなってくるやつや。

どんな人でも、後悔のひとつやふたつは抱えて生きてるもんや。
せやけどな――その後悔をただ「苦しいもん」として心に置いとくか、それとも「今の生き方」に変えていくかで、心の景色はまるで違って見えてくる。

消えへん後悔を、これからの生き方に変えていく話

だからこの記事では、「消えへん後悔を、あんたの“今の生き方”に変えていく話」をしたいんや。

過去の出来事は、どうあがいても変えられへん。
いくら願っても、時計が逆に回り出すことはない。

せやけどな、それは“残酷”やなくて“優しさ”やと思うんよ。もし何度でもやり直せる世界やったら、人はきっと、いつまでも自分を責め続けてしまうからや。

もっとできたはずや」とか、「あの時の自分はあかんかった」って、何十回も、何百回も、同じ後悔を巻き戻してまう。

この世界では、過去は一度きりで戻られへん。
でもそれは、“終わり”やなくて、“始まり”でもある。

”だけが、生きてるあんたの手の中に、確かに残されてる時間やからや。

誰かが最後に残した「ありがとう」とか「元気でな」とか。
たった一言がいつまでも胸に残るのは、その中に、「今を大事に生きてな」ってメッセージが隠れてるからやと思うんよ。

過去に戻られへんからこそ、今どう生きるかが、あんたの人生の形を決めていくんや。

後悔が教えてくれる「大切にしたい気持ち」の温もり

後悔を抱えたまま生きてると、人は何度も同じ思いをたどる。 まるで心の中で、同じ場所をぐるぐる回ってるみたいや。
もっと優しくしとけばよかった
怒ったまま別れんかったら…
 そんな言葉がふと浮かぶたびに、胸の奥が少し痛む。

 でもな、後悔の正体は「過去への執着」やなく、「大切にしたかった」っていう気持ちの残り火なんや。
 ほんまにどうでもええ相手なら、悔やむことすらせぇへん。 時間といっしょに忘れて終わり、それだけや。
 けど、心が何度もその出来事を思い出してまうんは、 「あの時間は、たしかに特別やったんや」って教えてくれてるからやと思う。

 忘れたつもりでも、あの時の気持ちはちゃんと残ってる。 その想いは、消えてしまったわけやない。 手をかざしたら、まだほんのり温もりがある。

 そのあたたかさに気づいた瞬間、人は少しずつ前を向けるんよ。

もっと大事にしたかった」っていう気持ちは、 過去を責めるためのもんやなく、 今を大切に生きるための小さな種なんや。

過去はもう触れられへんけど、今はちゃんと触れられる。 だからこそ、後悔の痛みは“今を生きろ”って教えてくれる合図なんや。

 ――あの頃のことを思い出すたびに、その言葉の意味を感じるようになった。

今日は、大学時代に心に残ったある夜のことを話したいと思う。 就活が全然うまくいかへんかった頃、ひとりで悩んでいた時期のことや。

「最後のありがとう」から学んだ、今を生きる強さ

何社受けても結果は出えへんし、面接が終わるたびに自信が削れていった。 焦りよりも、自分へのあきらめのほうが大きかった。

もうええか」って呟いて、何となく日々をやり過ごしてた。
心のどっかで、「自分なんか、どうせあかんわ」って決めつけてたんやと思う。過去の“あの時こうしとけば”を繰り返すクセみたいなんも抜けんくて、“”を大事にできてへん自分にも、気づこうともせぇへんかった。

そんなある晩、久しぶりにサークル仲間の健司から連絡があった。
たまには飲もか
心が空っぽになりかけてたオレは、その誘いに何となく乗った。

ジョッキ片手に、いつものように愚痴がこぼれたわ。
もうちょっと頑張ってたら、今ごろ違ってたかもしれんなんであのとき、ああせんかったんやろな」って。

今さらどうにもならん後悔ばっかり口にするオレを見て、健司はふって笑って、少し間を置いてから静かに言うた。

お前にな、昔の話してもええか?

最初は、ただの酔いの勢いやろと思ったけど、その声の響きがいつもと違ってた。
そこで聞いた健司の話――今でもよう覚えてる。
それは、オレに「過去ばっかり見てたらあかん」って教えてくれた夜やった気がする。

健司と彼の初恋の幼なじみ、愛子との話――ここからは、健司の目線で書くな。
(名前はふたりとも仮名にしてる)

「好きや」って言えへんかった、オレのヘタレな人生

小さいころから、ずっと一緒におった。
登校のたびに並んで歩いて、放課後は近くの公園で鬼ごっこして、夕焼けの中で笑い合ってた。
また明日な」――その言葉が何より自然で、当たり前の幸せやった。

けど、高校に上がったある日、愛子が笑顔で言うてきた。
最近な、仲ええ男友達できてん。ほんま、話しててめっちゃ楽しいねん

その瞬間、心の奥で何かがきしんだ。
よかったやん」って口では笑って言うたけど、心では全然笑えてへんかった。
その日、初めて気づいたんや。“オレ、愛子のこと、好きやったん”って。

けどな、自分の中の嫉妬に気づいた瞬間、情けなくてどうしようもなかった。
オレなんかが愛子を好きになってええんか」って、自分を責めて、逃げた。

その日から、愛子と目を合わせるのも、なんや気まずくなって、今までどおりの会話もできんし、気づけば距離をとるようになってた
大学も地元の大学にも受かってたけど、愛子と顔を合わせるのがしんどなって、わざわざ遠くの大学を選んだんや。

愛子のそばにおると、自分の弱さが浮き彫りになる気がして、怖かったんやと思う。

卒業式の日。
愛子は晴れやかな顔で「またどっかで会おな」って、そう言って手を振る笑顔が、太陽みたいに眩しかった。

オレはうつむいたまま、「じゃあな」とだけしか返せんかった。
その笑顔をまっすぐ見る勇気が出えへんかった。

あのとき、なんで顔を上げられへんかったんやろなって、そんなことを今も考えてまう。
それが――元気な愛子の顔を見た最後やった。

大学2回生になったばっかりのある日。地元の友達から電話がかかってきた。
なあ、愛子……入院してるらしいで。」って。

その瞬間、頭が真っ白になった。
何も考えられへんまま、財布と携帯だけ持って電車に飛び乗った。
耳には何も入ってこえへんかった。ただ「愛子に会わなあかん」それだけやった。

病院に着いたとき、心臓が破裂しそうで、手が震えてた。
ベッドの上の愛子は少しやせてたけど、目はあの頃のまま優しかった。
そんで、オレを見て微笑んで言うたんや。

……今までありがとう

その一言で、時間が止まったように感じた。
ほんまは取り戻したいことだらけで、何時間でも話したかった。いっぱい「ごめん」って言いたかった。

けど、声を出した瞬間、涙があふれそうで、喉が詰まった。
愛子の前で弱い自分を見せるのが、また怖かった。
好きや”って言えんかったあの頃と同じ――オレは昔と変わらんヘタレのままやった。

絞り出すように言えたのは、ただ一言。
じゃあな
それは、あの卒業式の日と同じ言葉やった。
そのとき笑った愛子の顔が、今でも目に焼きついとる。
……それが、ほんまの最後になった。

愛子のありがとうが教えた、今を生きる力

数日後、愛子は静かにこの世を去った。

葬儀の日、春の雨がしとしと降ってて、空まで泣いてるようやった
辺りではすすり泣く声が絶えへんのに、オレだけ涙が出えへんかった。

泣いたら心が崩れそうで、立っていられへん気がしたんや。
ほんまはその場で叫びたかった。声をあげて泣きたかった。でも、人の前で泣くのが怖くて、また弱い自分を隠した。

葬儀が終わって実家に戻った時のことは、ほとんど覚えてへん。
けど、自分の部屋で一人になった瞬間、全部あふれ出した。

なんでオレは、あの時も今も、強がるねん……

何度も何度も、愛子の名前を呼んだ。

胸の中では、愛子からの「ありがとう」が響き続けた。
愛子の苦しさも寂しさも、何ひとつ助けられへんかったオレに“ありがとう”なんて言葉をもらう資格なんかなかったんや。

むしろ「なんで言わへんの」「なんで逃げたん」「寂しかったんや」って、怒ってくれたほうがどれだけ楽やったか。

けど愛子は最後までオレを責めんかった。
その優しさが、余計にオレの胸を締めつけた。

その時、オカンが部屋に入ってきて泣き疲れたオレにそっと言うた
アンタな、泣くんはええ。泣かんよりずっとええ。でもな、過去ばっか見て心閉じとったら、ほんまに大事なもんが見えへんようになるで。生きてる限り、“今”を大事にせなあかん。愛子ちゃんの分まで、今あるもん、ちゃんと味わい。

オカンのその言葉が、胸に沁みた。

愛子の「ありがとう」は、オレを責める言葉やなく、今まで逃げ続けてきたオレの過去をまるごと包み込む“許し”そのものやったんや。

愛子は、最後まで精いっぱい“”を生き抜いたんやと思う。
過去には戻られへん。けど、過去を抱きしめたままでも、“”を生きていける。

だから――泣いて、悔やんで、また笑う。
もう逃げへん。今日をちゃんと生きようって思った。

そんで気づいたんや
前に進もうと思えるこの気持ちも、愛子が置いていってくれた大事なもんなんやと。

健司がこの話を終えたとき、人の命の短さや心の強さって、こういうことなんやって思った。
愛子ちゃんの“ありがとう”って、ほんまに深い言葉やな」って言うたら、健司は少し照れくさそうに笑って、「せやろ」って呟いた。

その笑顔が、どこか穏やかで、優しかった。

今、あんたは何を大事に抱きしめたい?

ほな今、あんたは何を大事にしたい?
誰の言葉を、誰との時間を、どんな気持ちを、今日ちゃんと抱きしめたい?

言えんかった「ごめん」も、渡されへんかった優しさも、 胸の中にずっと置きっぱなしにしてる想いも、「もう遅い」で終わらせてしまうんは、ほんまにもったいない。

まだ間に合うんや。

過去の自分には届けられへんかった言葉も、今の誰かになら届くかもしれん。
あの時にできひんかった優しさも、今日ならきっと誰かに手渡せる

残してしまった後悔も、今の行動しだいで、違う形の思いやりに変えられる。
過ぎ去った時間をただ握りしめるんやなくて、 今ここで、目の前の誰かを大事にする時間を重ねていくことで、気持ちは確実に変わる。

最後の“ありがとう”」が胸に残って痛くなる日もある。
でもその痛みは、あんたに「大切にしたい人がいる」って証拠なんや。 その気持ちがあるかぎり、まだ間に合う。

今日の誰かに優しくできるし、今の自分に誠実にもなれる。

過去は閉じてるけど、“”はちゃんと開いてる。
その扉の前に立って、鍵を握ってるんは、ほかの誰でもない、あんた自身なんや。

もう一歩踏み出したい人はこっちも読んでみてな。
【折れても諦めへん心|オカンの「折れても形ちゃう枝」から学ぶ強さ】

生きてる奇跡を、今日ちゃんと見つめよう

過去ばっか見て心閉じとったら、ほんまに大事なもんが見えへんで。 生きてる限り、今を大事にせなあかん。

人の心は、一瞬では強うなれへん。
せやけど、弱さを知った分だけ、人は優しくなれる。

後悔も涙も、消してしまうためやなく、 過去を抱きしめながら、それでも“”を生きるためにあるんやと思う。

季節が変わって、時間が流れても、あの「ありがとう」はずっと胸の中に息づいてる。

生きてる限り、誰かの言葉やぬくもりは、心の灯としてそっと残る
せやからこそ、今日をちゃんと味わおうや。
いま隣にいる人を、ちゃんと見つめよう。

生きてるって、それだけで、ほんまは奇跡みたいやから。

――今を生きるすべての人へ。
ここまで読んでくれたあんたに、心から“おおきに”やで。

ちょっと気持ちが落ち着いたら、こっちの記事も読んでな。
【前向きになれへん時に思い出して|オカンの教え「出来事より感じ方やで」】

免責事項】

※本記事は、医療的・心理的なアドバイスを目的としたものではありません。

深い孤独感や不安が続く場合は、心療内科や専門家の助けを借りることをおすすめします。

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