「また謝ってもうた……」って、帰り道とか家でひと息ついたとき、ふと自分を責めてまうこと、ない?
なんかちょっとした一言に反応して、とりあえず「すみません」って言うたり、場の空気が気まずなりそうやったら、無意識に「ごめんなさい」って口から出てしまってる。
ほんで、あとから「あれ、ほんまに自分が悪かったんかな?」とか、「なんであんなにすぐ謝ってもうたんやろ?」って、頭の中で考えてしまう。
でもな、それって「自分が悪い」からやなくて、あんたが優しすぎるから出てしまうクセやと思うねん。人を傷つけたない、波風立てたない、嫌われたない。
そんな気持ちが強いから、つい自分を後回しにしてまう。でも、そのたびに自分の心がすり減って、しんどくなってへん?
ここで思い出してほしいのが、オカンの「まず話を聞きなさい」って言葉や。
これは別に「謝るな」とか「もっと強くなれ」って話やない。謝る前に一回、相手が何を思ってるんか、どんな気持ちで言うてきたんか、ちゃんと聞いてみることが大事やってことやねん。
相手の話をしっかり聞いたら、「自分が全部悪い」って思い込むクセも、ちょっとずつ和らいでいくはずや。「聞く」って、相手を大事にするだけやなくて、自分自身を守ることにもつながるんやで。
この記事では、謝りすぎてしんどくなってるあんたに向けて、オカンの教えと一緒に「聞く」ことの意味を伝えていくわ。読んだあと、自分を責める気持ちが軽くなるヒントが見つかるはずやから、ぜひ最後まで読んでみてな。
「すぐ謝るクセ」と自己肯定感
すぐ謝ってしまうクセは、あんたの優しさや思いやりから生まれてる行動やけど、その気持ちが強すぎると、自分自身を一番しんどくさせてしまうこともあるんや。
たとえば、誰かの機嫌が悪なったときに「もしかして自分のせいかな…」って不安になったり、会話中に相手の表情が曇っただけで、とっさに「ごめん」って言ってしまう。これは、トラブルを避けたい、相手の気持ちを大切にしたいっていう、あんたの繊細さや気づかいがあるからこそできることやと思う。
でも、その気づかいが行き過ぎると、ほんまは自分が背負わんでええことまで、全部自分の責任みたいに感じてしまう。相手の問題まで自分ごとにしてしまって、「また謝ってもうた…」「なんでいつもこうなんやろ…」って、どんどん自分を追い込んでしまうんよ。
これが続くと、心が疲れ果ててしまう悪循環にはまってしまう。
ここで大切なんは、自分を責めたり、無理に自分を変えようとすることやなくて、自分の気持ちにもちゃんと目を向けて、そのまま受け止めてあげることや。相手を思いやるのと同じくらい、自分自身の心にもやさしくしてあげることが、本当の意味での思いやりにつながるんやで。
まずは、相手の話をしっかり聞いてみること。オカンが言うてた「謝る前に、まず話を聞きなさい」って言葉は、実は自分を守るための知恵でもあるんや。
相手の気持ちも自分の気持ちも、どっちも大事にできる関係を目指す。その第一歩が「聞く」ってことやねん。自分を責めるクセから抜け出して、もっとラクに人と向き合えるヒントを、ここから一緒に見つけていこな。
無意識の自己犠牲に気づく大切さ
「謝る」って行動は、相手を思う気持ちから自然に出てくるもんやけど、無意識に繰り返すことで自分の心をすり減らしてしまうよ。特に、状況がはっきりせんまま先に謝ってしまうと、周りから「あの人が悪かったんやな」って空気ができてしまうこと、実際にあるやろ?
たとえば仕事で何か問題が起きたとき、まだ原因も分からんうちに「すみません、自分のせいかもしれません」って言うてしまったら、その瞬間に「あんたのミスやな」って決めつけられてしまう。
あとで「ほんまに自分のせいやったんかな?」って考えても、もう流れは変えられへん。その場で自分が悪いと認めたことになってしまうから、誰も深く掘り下げようとせえへんねん。
こうやって「謝ったことで話が早くまとまる」っていう不思議な空気が、逆に自分を追い込んでしまう。ほんまは確認してから判断すべきことも、謝ることでスルーされてしまい、原因も自分の本音も置き去りになる。
その結果、「謝る」ことが自分を守るどころか、知らんうちに自分を傷つける行為になってしまう。これを何度も繰り返すうちに、自己肯定感までどんどん削られてしまうんや。
だからこそ、次に同じ場面に出くわしたときは、まず自分の気持ちと向き合ってみてほしい。「ほんまに自分の責任なんやろか?」って心の中で問いかけてみるだけでも、きっと違う景色が見えてくるはずやで。
中学生のときに知った「ごめんなさい」の重さ
「ごめんなさい」って言葉は、昔から魔法みたいなもんやと思ってた。誰かが怒ってるとき、それを口にすれば場の空気が静まって、みんなが黙ってくれる。そんなふうに信じてたんや。
中学生の時分やった。学校から帰ると、家のリビングは異様な静けさに包まれてた。オカンと兄貴が向き合って、その間には壊れたCDラジカセ。
兄貴が「誰や!これ壊したん!!」って怒鳴った瞬間、反射的に「ご、ごめん……」って口にしてもうた。
自分の声が空気を止めた気がしたけど、次の瞬間、オカンのまっすぐな声がリビングに響いた。
「なんで、あんたが謝んの?触ったかもしれへんけど、なんで“自分が悪い”って決めつけんの?」
ちゃぶ台越しでもなく、リビングのど真ん中。オカンは真正面から、強い目をして言葉を投げかけてきた。その一言が胸の奥にズシンと響いた。
続けてオカンは、「なんでもかんでも“自分のせい”にしてたら、心がボロボロになるで。ほんまは違うのに謝り続けたら、自分の本音も、わからんようになる。人の怒りを“黙って受け止める”んが優しさちゃう。まずは、“ほんまに何が起きたんか”を聞かなあかん」って言うた。
その瞬間、胸の奥が熱くなって、涙が出そうになった。自分は昔から空気を読む子で、誰かが怒ってたらとりあえず謝って場を静かにするのが正解やと思ってた。
でも、そのとき初めて、「人に優しくする前に、自分を守ること」の大切さを知ったんや。謝ること自体が悪いわけやない。でも、ほんまに自分が悪かったのか確かめもせんと、ただ謝り続けるだけでは、自分を守ることにはならんのやって気づかされた。
この出来事が、「謝る」っていう行為の意味と、「まず聞く」ことの大切さを、心に深く刻んでくれたんや。
「謝る」ことの意味が変わった日――“まず聞く”が生んだ変化
あの日の出来事をきっかけに、「謝る」っていうことの自分の考え方は大きく変わった。それまでは、誰かが怒っていたり場の空気が悪くなったりしたら、とにかく自分が謝ればすべて丸く収まるって信じてたし、それが“思いやり”やと疑わんかった。
でも、オカンの「まず話を聞きなさい」っていう言葉が胸に残ってから、何かあったときこそ「自分が本当に悪いんやろか?」「何が起きたんやろ?」って、一度立ち止まって考えるようになったんや。
ラジカセの件も、結局壊したのは兄貴自身やった。CDを無理に取り出そうとしてピンを折ってしもたらしい。自分は全く関係なかった。その事実を知ったとき、何もわからんまま「ごめん」って言って自分を責めていたことが、どれだけ自分の心を苦しめていたか初めて気づいた。
それ以来、誰かが怒っていたりトラブルが起きたりしても、まず「どうしたん?」って相手の話を聞くことを心がけるようになった。
家族や友達、職場でも同じや。相手の気持ちに寄り添いながら、自分の気持ちも大切にする。そんな関係が少しずつ築けるようになった気がする。
「謝る」こと自体は決して悪いことやない。
でも、本来「ごめんなさい」って、ただ場を収めるための言葉やなくて、相手の気持ちにちゃんと耳を傾けて、心から伝えるからこそ、初めて意味を持つんや。そうやって本音で向き合ったときにこそ、「謝る」っていう行為が、お互いの心を近づけて、信頼を深める“架け橋”になるんやと思う。
ほんまの思いやりは、「ごめん」って言う前に、「何があったん?」って相手の話を聞くことから始まるんやと思う。自分を守ることと、相手を思うことは両立できる。その第一歩が「まず聞くこと」やと、今ははっきり思えるわ。
これからも、誰かと向き合うときは、オカンの言葉を胸に、「まず相手の話をしっかり聞く」ことを大切にしていきたい。そうやって、相手の気持ちも自分の気持ちも大事にできる関係を築いていけたら、それが本当の思いやりに繋がると信じてるんや。
すぐ謝るを手放すのは冷たさやない
「すぐ謝るクセをやめる」って聞くと、「なんか冷たい人になるんちゃうか?」って不安になる人もおるかもしれへん。でも、それは決して“優しさを手放す”ことやないんよ。むしろ、もっと深く相手とつながるための“ほんまの思いやり”やと思うねん。
本当の意味で心を通わせるには、まず「聞くこと」から始めるのが大事やねん。何かあったとき、とっさに「ごめんなさい」って言う前に、ほんの少し間をとって、「どうしたん?」「何があったん?」って相手に問いかけてみてほしい。
そうやって話を聞くことで、状況がちゃんと見えてくるし、相手の本音も自然と引き出せる。自分が悪かったかもしれんと思っても、まず「どうなってたん?」って素直に聞く。そのうえで、謝るべきやと思ったら心から「ごめんね」って伝えたらええし、ときには「ありがとう」や「大丈夫やで」って言葉のほうが、相手にも自分にも響くこともある。
相手の話を受け止めてから謝ることで、「ごめんなさい」がただの反射やクセやなく、ほんまに心からの言葉になる。無意識に謝ってモヤモヤする毎日から、一歩抜け出すきっかけになるはずや。
誰かを傷つけたくない、迷惑をかけたくない、そんな思いがあるからこそ「ごめん」って言ってしまう。その優しさは本当に大切なものやけど、もしその優しさが自分を苦しめてるなら、一度立ち止まってみてほしい。
オカンやったら、こう言うやろ。
「謝るのはええ。でもな、まずはちゃんと聞きぃ。相手の話も、自分の心の声も」
自分の気持ちを置き去りにして謝り続けるんは、自分を大切にしてへん証拠や。本当の優しさは、自分自身を大事にすることから始まるんやで。
すぐ謝るクセから抜け出すための、新しい習慣
「すみません」「ごめんね」って、つい口から出てしまうこと、あんたにもあるやろ?
気づけばなんでもかんでも謝るのがクセになってて、自分でも「なんでこんなに謝ってばっかりなんやろ…」ってモヤモヤしてしまうこと、きっとあると思うんよ。
でもな、そのクセから卒業するだけで、自分の心も人との関係も、もっとあったかくてラクになるんや。謝ること自体が悪いわけやないけど、なんでも反射的に謝ってしまうと、自分の気持ちが置き去りになってしまうし、相手にも本当の思いやりが伝わりにくくなる。
これからは、すぐ謝るクセを手放して、自分の気持ちも相手の気持ちも、どっちも大切にできる新しい習慣を身につけていこうや。
まずは「今、何が起こったんやろ?」「ほんまに自分が悪かったんやろか?」って一呼吸おいて、自分に問いかけてみることから始めてみてほしい。自分の心に余裕が生まれるし、無意識に自分を責めるクセも和らいでいくはずや。
このあと、具体的な新しい習慣について紹介していくから、ぜひ今日から意識してみてな。自分も相手も大切にできる、もっとラクであったかい関係を一緒に作っていこうや。
「沈黙の3秒」を自分に許す習慣
誰かに何か言われたとき、あんたはすぐに「ごめん」って口にしてしまうこと、ない?その一言がクセになって、気づけば自分の気持ちを置き去りにしてしまってる――そんな経験、きっと一度はあるはずや。ほんまは自分の心を大事にしたいのに、相手の言葉にすぐ反応してしまう。そんな自分に、もどかしさを感じてへん?
そこで提案したいのが、「沈黙の3秒」を自分に許す習慣や。何か言われたとき、とっさに謝る前に、たった3秒だけ黙ってみる。その短い沈黙は、あんたが自分の気持ちをちゃんと扱うための大切な時間やねん。
人の言葉にすぐ反応せず、まずは自分の心に耳を澄ます。その3秒があるだけで、心の中に余裕が生まれて、「本当はどう思ってる?」「今、どうしたい?」って自分自身と対話できるようになる。
この沈黙は、決して気まずさや冷たさを生むもんやない。むしろ、相手の言葉をしっかり受け止めて、自分の気持ちも大切にするための“間”や。静かに自分と向き合うその姿は、周りから見ても落ち着きがあって、どこかかっこええもんやで。
沈黙の3秒があることで、無意識に謝るクセが減って、自分の本音に気づきやすくなる。結果的に、相手にも誠実な気持ちで向き合えるし、コミュニケーションもぐっと深まるんや。
今日から、誰かに何か言われたときは、まず「沈黙の3秒」を自分にプレゼントしてみて。焦らず、自分の気持ちを感じる。その小さな変化が、あんた自身をもっとラクに、もっと誠実にしてくれるはずや。次に誰かと話すとき、ちょっとだけ立ち止まってみてや。
「その場で結論を出さない」勇気を持つ習慣
会話の途中で、「あ、これ自分のミスかも…」って思った瞬間、つい「すみません」って口にしてしまうこと、ない?その場の空気を壊したくなくて、とりあえず自分が謝れば丸く収まる。そんなクセが身についてしまってる人、多いんとちゃう?
けどな、その場で結論を出さんと、「ちょっと確認してから返事させてもらってもええ?」って一度持ち帰る勇気を持つことは、決して逃げやないんや。それは、自分の信頼を守るための大事な盾になる。
焦って即謝罪するよりも、事実をきちんと確かめてから返事をする。その姿勢こそが、丁寧で芯のある大人のコミュニケーションやと思うんよ。
「すぐ謝る」って、優しさや責任感の裏返しやけど、実は自分の気持ちや状況をちゃんと見つめる余裕を奪ってしまうこともある。相手のためにとっている行動が、結果的に自分の信頼や評価を下げてしまうこともあるんや。
だからこそ、「今すぐ結論を出さなくてもええんや」って自分に許可を出してあげてほしい。
「ちょっと確認してから返事させてもらってもええ?」って言える人は、誠実で、相手にも自分にも正直な人や。自分の考えや状況を大切にしながら、相手にも丁寧に向き合う姿勢は、信頼を深める大きな力になる。
即答や即謝罪のクセから一歩離れて、「一度持ち帰る」っていう選択肢を持つことで、会話の質も自分の心の安定もぐっと高まるはずや。
今日から、会話の中で「すみません」ってすぐ言いそうになったとき、「ちょっと確認してから返事するな」って一言添えてみて。自分の気持ちも相手との信頼も、どっちも大切にできる丁寧なコミュニケーションを、ぜひ実践してみてや。
毎朝、自分への問いかけをする習慣
朝、鏡の前で支度をしながら、「今日もまた無意識に謝ってしまうんやろか?」「本当はもっと自分の気持ちを大事にしたいのに…」って、そんな不安や葛藤を感じたこと、あんたにもあるんちゃうかな?
毎日が慌ただしく過ぎていく中で、つい自分のことを後回しにしてしまう。けど、本当は自分の心を守ることこそ、1日を気持ちよく過ごすための土台やと思うんよ。
そこでおすすめしたいのが、毎朝、自分自身に問いかける習慣や。
「今日は、“とっさのごめん”じゃなく、自分を守る一日にするか?」って、このシンプルな問いが、あんたの心に小さな決意の火を灯してくれる。たとえ昨日うまくできなかったとしても、今日の自分には、また新しい選択肢がある。
自分を否定せず、「今日こそは自分の気持ちを大事にしてみよう」って思うだけで、心の軸がぶれにくくなるんや。
この問いかけは、自分を責めるクセをやめて、ありのままの自分を認めるスタートスイッチになる。たとえば、誰かに何か言われたとき、「すぐ謝らな」って焦る代わりに、「今、自分はどう感じてる?」「本当に謝る必要がある?」って一度立ち止まる勇気をくれる。
そうやって自分を守る選択を重ねることで、少しずつ心に余裕が生まれ、人との関係もラクになっていくんよ。
今日から、朝の支度のときに鏡の自分に問いかけてみて。「今日は、自分を守る一日にするか?」って、その小さな一歩が、あんたの毎日を変えるきっかけになる。自分を大切にする決意を、まずは朝の自分に約束してみてや。
「ノーリアクション」の練習をする習慣
誰かがイラッとしてたり、場の空気がピリッと張りつめた瞬間、あんたはつい「ごめん」って口にしてしまったり、なんとか場をやわらげようと必死になってしまうこと、ない?
その場の空気に押されて、無理にリアクションしてしまう自分に、あとでモヤモヤした経験もあるかもしれへん。でも実は、「何も言わずにただ静かにその場にいる」っていう選択肢も、立派なコミュニケーションやねん。
「ノーリアクション」の練習をしてみてほしい。誰かが感情的になっているとき、あえて何も言わず、ただ相手の目を見て静かにその場に居続ける。
謝らず、言い訳もせず、無理に笑ったりごまかしたりせず、ただ“居る”だけの勇気。これができる人は、実はめっちゃ芯があって、相手にも「この人はちゃんと向き合ってくれてる」って伝わるもんや。
もちろん、無表情や完全な無反応が続くと、相手に冷たく伝わったり、攻撃的に受け取られることもあるから、目を見て穏やかな表情を心がけるのがポイントや。
言葉や大きなリアクションがなくても、静かに相手と向き合う姿勢は、信頼や安心感を生む。実際に、感情的な相手にすぐ反応せず、落ち着いてその場を受け止めることで、相手のエネルギーに巻き込まれずに済むし、自分の心も守れる。
この「ノーリアクション」の練習は、最初はちょっと勇気がいるかもしれへん。でも、謝るでもなく、言い訳するでもなく、ただ静かにその場にいることで、相手との信頼関係も少しずつ深まっていくはずや。
今日から、ピリッとした空気に出会ったとき、まずは一度「何も言わずに静かに目を見る」、このシンプルな行動を試してみてや。きっと新しい自分の強さと、相手との新しいつながりが生まれるはずやで。
「自分にメモを取る」習慣
「また謝りそうになった」「気づいたら“ごめん”って言ってしまった」、そんな瞬間、あんたはどんな気持ちやった?そのとき、心の中で何が起きてたんやろう?普段は流してしまうその感情、ちゃんと向き合ったことある?
実は、謝りたくなった瞬間の気持ちをメモするだけで、自分の心のクセや本当の価値観が見えてくるんや。たとえば1日1回、「また謝りそうになった」「謝ってしまった」そのタイミングで、スマホのメモに「なぜそう思ったのか」「本当に自分が悪かったのか」を書き留めてみてほしい。たったそれだけで、感情の流れを客観的に見つめる力がついてくる。
書き出すことで、不安やモヤモヤから少し距離を置けるし、「自分はこういうときに謝りやすいんやな」って気づけるようになる。感情を記録することで、自己認識が高まり、ストレスや不安も和らぐ効果があると科学的にも証明されてる。
それだけやなく、過去のメモを振り返ることで、「本当に自分が大切にしたい価値観」や「自分の弱さ・強さ」も見えてくるんや。
感情をメモすることは、決して弱さや逃げやない。むしろ、自分の心と誠実に向き合う勇気の証や。書き出すことで、自分の弱さを強さに変えていくことができる。
今日から、1日1回だけでええ。その瞬間の気持ちを、スマホにメモしてみてや。その小さな積み重ねが、あんた自身をもっと自由に、もっと自分らしくしてくれるはずや。
すぐ謝るクセから卒業して、自分も相手も大切にしよう
今日も一日、自分の気持ちも相手の気持ちも、ちゃんと大切にできたやろか?そんなふうに一日の終わりに振り返ると、胸の奥にしまい込んだ本音や、無意識に飲み込んできた言葉が、ふと浮かんでくることがあるよな?
「すぐ謝るクセ」を手放すことは、これまでのやさしさを否定することやない。むしろ、それは“ほんまの優しさ”を育てる、静かで力強い選択なんや。
たしかに「ごめん」って言うことで守ってきた関係や空気も、大切なものやったかもしれん。でも、これからは「今、何が起きてる?」「自分はどう感じてる?」って、ほんの数秒でも自分に問いかける時間を持ってみてほしい。
その小さな立ち止まりが、自分を守る力になり、心からの「ごめんね」や「ありがとう」が自然と出てくるようになる。謝ることが目的やなくて、本音で向き合うこと、それが、あたたかくて信頼できる関係を育てるんや。
あんたの優しさは、ちゃんと伝わってる。その優しさを、これからは自分自身にも向けてあげてな。自分も相手も大切にできる毎日をこれからも一緒に歩んでいこうな。
もし「気を使いすぎてしんどいな…」と感じるときは、【気を使いすぎてしんどい…そんな時は鈍感力!オカン直伝・気楽に生きるヒント】も読んでみてな。きっと、心がふっと軽くなるヒントが見つかるはずやで。
最後に:オカンからの手紙
「あんたは優しいからすぐ謝ってしまうけど、なんでも自分のせいにせんでええんやで。まず「ほんまに自分の責任かな?」って立ち止まって考えてみて。自分の気持ちも大切にして、心をすり減らさんようにしてな。本当の思いやりは、自分を守ることから始まるんやで」
――オカンより
【免責事項】
※本記事は、個人の経験と考察に基づいたものであり、医療的・心理的助言を提供することを目的としたものではありません。お困りの際は専門機関にご相談ください。
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