「なんでワシばっかり…」って思ってまう夜あるやんな?
仕事で怒られて、帰りの電車でふと窓に映った自分の顔見たとき。
「あれ?こんな情けない顔してたっけ」って、びっくりすることある。
ほんまは、がんばってるねん。
人の顔色見ながら、“ミス”せんよう気ぃつけて、それでもまた怒られる。
自分なりに誠意もって動いてるのに、空回りしてばっかり。
気ぃついたら、何年もそんな毎日や。
「もうええやろ…辞めてもええんちゃうか」って、つぶやきたくなる夜。
自分にも、何回もあったわ。
でもな――そんなときに思い出す言葉があるんや。
あの、オカンの“晩御飯の匂い”と一緒にな。
明日も怒られるかもしれへんけど、それでも「辞めたらアカンで」
怒られてばっかりの毎日。
自分でも「アホなんちゃうか」って思うくらい落ち込んでた。
帰り道、涙こらえて歩く日々。
でも、実家に帰った夜、台所から漂うごはんの匂いと、オカンのひとことが心に沁みた。
「辞めたらアカンで。アンタの頑張り、ちゃんと見てるで」
その言葉で、次の日も会社に行けたんや。
あのときのオカンのひとこと
あれは、25歳のときやった。
転職して1年目。
なにをしても要領わるうて、先輩に毎日、怒鳴られてばっかり。
「お前ほんま、アホやなあ」って言われすぎて、自分でも「アホなんやろな」って思いこんでた。
帰り道、よう泣きそうになってた。
ちょっとでも人に会いたくなくて、真っ暗な裏道歩いて帰った。
その日は、仕事で”ミス連発”して、どうにもこうにも気持ちが沈んでしゃあなかった日、家に帰ったら、“晩ごはんの匂い”が、ホッとさせてくれてん。
オカンは何も聞かんと、いつも通り台所に立ってて。
「なんもええことないわ」ってぼそっと言うたら、オカン、黙って茶碗にもりながら、こう言うた。
「怒られてばっかりやけど、辞めたらアカンで。アンタが踏ん張ってる姿見ると、ウチも力出るんやで」
その言葉に、涙止まらんようになった。
何が悔しいって、誰にも認められへん自分を、オカンだけはちゃんと見てくれてたってことや。
「誰にも言えへんけど、あんたようやってるって、ウチはちゃんとわかってるからな」って。
それだけで、次の日も会社行けたんよ。
「逃げたい」って気持ちも、ちゃんと置いといたらええねん
「もう無理」「逃げたい」って思う日、あるよ。
そんな気持ちを持つ自分が弱いんちゃうかって、自分を責めてまう。
でもな、オカンが言うてたんよ。
「逃げたい」って気持ちも、ちゃんと置いといたらええねんって。
無理に強がらんでええ。
ただ、それでも一歩進めたら、それで十分なんやって。
オカンの“最後の最後まで”の教え
オカンがよう言うてたことがあってな。
「辞めるのは、最後の最後にしたらええ」って。
別に「無理して続けろ」とは言わへん。
ただ、「逃げる」っていう決断は、追いつめられてるときにしたらアカン。
気持ちが狭なってるときって、”大事なもん”まで手放してまうから。
オカンは言うてた。
「せやから、まずは一回、横になって寝ぇ。寝て、食うて、ちょっと笑えたら、また考えたらええんや」って。
“頑張る”って、毎日全力出すことちゃうねん。
「今日もなんとか会社行けた」
それだけで、十分によう頑張ってるってことや。
あんたにできる、小さな「生き直し」のヒント
朝、起きたときに「よっしゃ、今日も行こか」って自分に声かける
ごはん食べるとき、「うまいなぁ」って、ちゃんと味わう
誰かの「ありがとう」を受け取ったら、ぎこちなくても「こちらこそ」って返してみる
オカンのごはんみたいに、“ちょっとしたもん”が、案外、心支えてくれるんやで。
まとめ:怒られてばっかりでも、あんたはちゃんと生きてる
最後に言わせてな。
怒られてばっかりの日々でも、”辞めたい”と思うくらいの気持ちでも、それでもあんたは、ちゃんとようやってる。
ほんまにあかんと思ったら、”辞めて”もええ。
でもその前に、ちょっとだけ”オカンの声”を思い出してほしい。
「辞めたらアカンで」
それは、我慢しろって意味やなく、「諦めるにはまだ早い」っていう、愛のこもった言葉や。
これ読んでくれて、ほんまありがとうな。
【免責事項】
※この記事は筆者の経験および創作を交えたエッセイであり、医学的・心理的なアドバイスを目的としたものではありません。深いストレスや悩みが続く場合は、専門機関へのご相談をおすすめします。
コメント