「頑張ってるな」って言われると、正直うれしい。でも、その言葉がだんだん重たく感じて、「もっとやらなあかん」「もっと応えなあかん」って、自分で自分を追い込んでしまってること、ない?
ふと立ち止まって、「自分がほんまにやりたかったことって、何やったっけ?」って考えると、自分の気持ちがどこか遠くへ行ってしまってるのに気づく。周りの期待や評価ばかり気にして、大事な本音を置き去りにしてしまうこと、きっと誰にでもある。
ほんまは、「周りに心配かけたくない」「空気を悪くしたくない」って、人のために無理して笑ってることもある。そのやさしさは本当にすごい。でも、しんどいのに笑い続けるのは、自分をないがしろにしてる証拠でもあるんや。
それに気づくのは、めっちゃ勇気がいるんよ。でも、その気づきこそが、心を守る第一歩やと思う。しんどい時は、しんどいって言うてええ。無理して笑う必要なんか、どこにもない。自分の本当の気持ちや願いを、一番に大事にしてほしい。
自分を大切にすることは、甘えや逃げやない。それは、あんたの“生きる力”そのものや。疲れた心に、そっと優しさを向けてあげてな。その小さな一歩が、あんたをちゃんと前に進ませてくれる。
そして、もし心が折れそうになったときは、オカンの「自分、置いてきぼりにしたらあかん。心、ちゃんと連れて歩きぃ」って言葉を思い出してほしい。あの一言に救われたように、きっとあんたの心にも、そっと寄り添ってくれるはずや。
顔笑ってても、心を置き去りやったらアカン
「顔笑ってても、心を置き去りにしたらアカン」――これは、うちのオカンが何度も繰り返し言うてくれた、大事な言葉や。
どれだけ明るく振る舞っていても、心の中で泣いていたり、しんどさを押し殺しているとき、それは本当の笑顔とは違うんやって。オカンは、そんなときこそ「自分に嘘ついて無理し続けたら、ある日、心がポキッと折れてしまうで」って、優しくもまっすぐな目で伝えてくれた。その言葉は、今でも胸の奥に残ってる。
誰かのために動けるやさしさは、あんたの素晴らしいところや。でも、自分の心を後回しにしてまで無理を重ねることは、ほんまは違うんやってオカンは教えてくれた。「自分の気持ちも、ちゃんと一緒に連れていったらなアカンで」――この言葉には、自己犠牲ではなく、自己への優しさも大切にしてほしいっていう思いが込められていたんやと思う。
空気を読んだり、期待に応えようと背伸びして、気づけば自分の本音がどこか遠くに行ってしまうこと、あるやろ?そんなときは、一度立ち止まって、自分の心が何を感じているのか、そっと耳を傾けてみてほしい。「ほんまはこうしたい」「本当は今、しんどい」って、その小さな心の声を無視せず、認めてあげてな。
自分に優しくすることは、決して甘えやない。むしろ、それが「ほんまの強さ」やってオカンは言うてた。「無理して笑わんでもええ。しんどいときは、しんどいって言いなさい」――その言葉は、今もそっと背中を押してくれる。
ほんまの笑顔は、「自分にやさしくする勇気」から生まれる。もし忘れそうになったときは、オカンのこの言葉、思い出してな。
期待に応え続けると、自分の声が聞こえんようになる
期待に応え続けてると、ほんまに自分の声が聞こえんようになってまう。誰かの顔色ばっかり気にして、「ほめられたい」「認められたい」「迷惑かけたない」って、そんな気持ちで毎日動いてるうちに、気づいたら自分の心がどこにあるんか、ほんまにわからんようになるんや。
「自分は何を大事にしたかったんやろ」「なんでこれを選んだんやろ」――そう思い返そうとしても、答えがすぐには出てこない。自分の本音や気持ちが、どんどん遠ざかっていく感じや。
それでも無理して走り続けたら、心はどんどん擦り減っていく。気づいたときには、「何してもうまくいかへん」って、自分を責めるしかなくなるんや。
その苦しさは、誰にも見えへんけど、本人には痛いほど刺さる。笑顔の裏で、心だけがひとりぼっちになってる夜、あんたも経験したことあるやろ。
そんなときは、一度、立ち止まってみてほしい。「ほんまは、どうしたかったんや」「今の自分、何を感じてるんや」って、心の奥にそっと問いかけてみてや。
無理して期待に応え続けるよりも、自分の気持ちを大事にすることのほうが、ずっと大切や。自分の声を取り戻すことは、決して弱さや逃げやない。それは、あんたがもう一度、自分らしく生き直すための一歩やと思う。
もし、職場や家庭の人間関係で悩んでて、心が少しでも軽くなるヒントを知りたいときは、こっちの記事もぜひ読んでみてや。
【職場で苦手やった先輩が一番の味方に変わった夜|人間関係が好転した話】
苦手やった相手との関係が、どうやって変わっていったのか。オカンの教えと一緒に、ほんまの自分を取り戻すヒントを詰め込んでる。きっと、あんたの心にも何か響くはずや。
頑張りすぎて、心が空っぽになった夜
あれは、何年前やったやろなぁ。仕事が忙しすぎて、毎日が目まぐるしく過ぎていった。上司から「頼りにしてるで」って言われるたび、うれしくて、もっと期待に応えなあかんと思って、どんどん仕事を抱え込んでた。
でも、家に帰ったら余裕なんか全然なくて、イライラして家族にきつく当たってしまうこともあった。子どもが「おかえり」って声かけてくれても、「ただいま」って返す元気もない自分がおった。
夜、やっと一息ついたとき、ふと鏡を見たら、そこに映ってたのは、疲れきった自分の顔。思わず「これ、ほんまに俺か?」って呟いてもうた。
今の家庭の状況や、自分がどんな毎日を送ってるか、改めて考え直してみても、これが自分が本当に望んだ姿なんか、幸せなんか、まったくわからんようになってた。心の中はぐちゃぐちゃで、何が正解かも見失ってたんや。
ほんまは、家族ともっと笑い合いたかったはずやのに、気がつけば「仕事が忙しいから」「今は余裕がないから」って、自分にも家族にも言い訳ばっかりしてた。子どもの成長も、家族の小さな幸せも、全部「あとで」って後回しにして、仕事のことで頭がいっぱいになってた。
それやのに、家に帰っても心が休まることはなくて、ただ毎日を消化するだけ。気づいたら、自分が何を大切にしたかったのか、何に喜びを感じてたのか、全部わからんようになってもうてた。
そんな自分に気づいたとき、胸の奥がズキンと痛んだ。頑張れば頑張るほど、心がどんどん空っぽになっていく。あのときの自分は、ただ「期待に応えなあかん」って、それだけで動いてて、本当の自分の気持ちなんて、どこにも見当たらんかったんや。
オカンがくれた“置いてきぼりにすな”って言葉
そんなある晩、なんとなく実家に帰ってみた。普段どおりの顔してるつもりやったけど、やっぱりオカンにはすぐ見抜かれた。「アンタ、顔は笑ってんのに、心がどっか行ってもうてるやんか」――その一言、胸にズシンと響いた。正直、心がどっか行ってるどころやなくて、もう壊れてしまいそうなぐらい限界やったんや。
うつむいた俺に、オカンは静かに続けてくれた。
「そんな自分、置いてきぼりにしたらあかん。心、ちゃんと連れて歩きぃ。がんばるのも大事や。でもな、心が疲れたら、笑顔もウソになるんやで。ウソついた笑顔は、自分も周りも、悲しくさせるだけや。」
オカンの言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが崩れ落ちた。
限界やのに「まだやれる」「止まったらアカン」って、自分で自分を追い詰めてる。そのくせ、心のどこかでは「なんでこんなに走り続けてるんやろ」「ほんまはもう休んでええんちゃうんか」って思ってる自分もおった。その矛盾に苦しみながらも、また「期待に応えなあかん」「かっこ悪い姿は見せたくない」って、必死で見栄を張ってきた。
でも、ふと気づいたんや。誰かのためやと思い込んでたけど、結局は自分が「ええ格好したい」「頼りにされてる自分でいたい」っていうプライドにしがみついてただけやったんやって。
家族の前ですら素直になられへんかったのも、「弱い自分」を見せたくなかっただけや。ウソの笑顔でごまかして、ほんまの自分からどんどん遠ざかってたんは、全部自分の”見栄”のせいやった。自分の見栄のために、大切なものも、自分自身も、置き去りにしてたんやって、やっと気づけた。
その晩は、「なんでこんなアホなことしてたんやろ」って、情けなさと悔しさが一気にこみ上げてきて、涙が止まらんかった。
翌朝、家族に「ごめん」と「ありがとう」をやっと伝えられた。嫁も、俺が無理してることに気づいてたらしい。でも、弱音を吐かん俺には、どう声をかけていいかわからんかったって。
期待に応えなあかんって、誰が決めたんやろ。ほんま、あほやったなぁって心から思えた。でもその日から、肩の荷がふっと軽くなって、やっと自分を取り戻せた気がしたんや。
家族の前で弱さを見せてもええ、そんな当たり前のことに気づかせてくれたオカンの言葉が、今も胸の奥であったかく響いてる。
あんたは、どんな時に「心が置き去り」やなって思う?
「心が置き去りになってる」って感じる瞬間、あんたにもきっとあるやろ?
俺もそうやった。仕事や人間関係で「ちゃんとせな」「期待に応えなあかん」って必死に走り続けて、気がつけば自分の気持ちがどこにあるんか、まったくわからんようになってた。
なんでこんなに頑張ってるんやろうって、そう思いながらも、「周りのためや」「家族のためや」って自分に言いきかせてた。でも本当は、誰よりも自分の見栄や体裁に縛られてただけやった。弱い自分を見せたくなくて、しんどいのに「大丈夫やで」ってウソの笑顔でごまかして、どんどん本音から遠ざかっていった。
もしかしたら、あんたも気づいたら、「ええ格好したい」「ちゃんとしてる自分でいたい」って、ひたすら走り続けてへん?「周りのためや」「期待に応えなあかん」って思い込んでるけど、実はその根っこには、自分の見栄やプライドがしっかり居座ってるんよ。
ほんまはしんどいのに、本音を押し殺してウソの笑顔でごまかして、気づけば自分自身がどんどん遠ざかっていく。その矛盾に苦しみながらも、「止まったらアカン」「弱い自分は見せたくない」って、さらに自分を追い込んでしまう。心の中が空っぽになっていく感覚――あれが「心が置き去り」になってる瞬間なんやと、俺は痛感した。
でもな、そんな自分をちゃんと見つめて、「ああ、これが今の自分なんや」って認めてあげられたとき、初めて肩の荷が少し下りた気がした。情けなさも、弱さも、全部受け入れてこそ、本当の意味で自分を大事にできるんやって、今なら思う。
もし今、あんたも「心がどっか行ってもうてる」って感じてるなら、どうか無理せんと、ちょっと立ち止まってみてほしい。
自分の心の声に耳を傾けて、「ほんまはどうしたいんやろ」「何がしんどいんやろ」って、そっと問いかけてみてや。それが、自分を大切にする第一歩やし、見栄や体裁に縛られずに生きるための、本当の強さやと俺は信じてる。
自分らしさを取り戻すヒント
どれだけ努力を重ねても、誰かの期待に応えることばかり考えていると、ふとした瞬間に「自分の心はどこにいったんやろ」って戸惑う時がくるねん。
仕事や家庭での責任に追われて本音を押し込めて、「ちゃんとせな」「弱さは見せたくない」って自分を奮い立たせて、しんどさや寂しさを見て見ぬふりして、そうやってウソの笑顔で日々をやり過ごすうち、鏡の前に立った自分が他人のように感じてしまうようになる。
そんなとき、オカンの「心、ちゃんと連れて歩きぃ」っていう言葉が胸に刺さるんや。その意味を、今になってようやく噛みしめることができた。どれだけ忙しくても、自分の心を置き去りにしたままやったら、ほんまの自分を見失ってしまう。
自分らしさを取り戻すためには、まず立ち止まる勇気が必要や。一日の終わり、静かな場所で目を閉じて、「今日、自分は何を感じてたんやろ」って問いかけてみる。しんどさ、悔しさ、寂しさ…どんな感情も否定せんと、そっと受け止める。ノートに書き出してみると、心の奥に沈んでいた本音が少しずつ浮かび上がってくるもんや。
完璧を求めるのを手放して、「今の自分も悪くない」って認めてやる。弱さや情けなさも、自分の一部として受け入れたとき、心に少し余裕が生まれるし、それは決して甘えや逃げやなく、自分を大切にするための大事な一歩なんや。
もし今、心が遠ざかっていると感じているなら、少しだけ歩みを緩めて、自分の心に手を伸ばしてみてほしい。その手を離さずに進めば、また新しい自分と出会えるはずや。
「他人の正解」を捨てる覚悟を持つ
今、ほんまに自分の人生を自分の足で歩いてるって胸張って言える?それとも、誰かの目や評価、世間の「こうあるべき」に縛られて、気づかんうちに他人の正解ばっかり追いかけてへん?
上司にどう思われるか、友だちや家族にどう見られてるか、世間の常識や期待に応えようとして、いつの間にか自分の人生のハンドルを他人に預けてること、ない?そんな問いを、今こそ自分自身に投げかけてほしいんや。
ほんまは自分の心が望んでへんことでも、「みんながそうしてるから」「これが正しい生き方や」って、自分を納得させてしまうこと、きっと誰にでもあるねん。でもな、どれだけ周りの期待に応えても、心の奥にぽっかり穴が空いたような虚しさが残ることがある。
他人の正解をなぞるだけの人生は、いつか必ず「これでよかったんやろか」って自分に問い直す日が来るもんや。
もうええやん、自分の人生の答えは、自分で決めたら。他人の価値観や評価に振り回される必要なんて、どこにもない。覚悟を持つっていうのは、何かを手に入れることやなくて、まず「他人の正解」を潔く手放すことから始まるんやと思う。自分にとってほんまに大切なものは何か、どんな自分でいたいんか。その問いに、正直になってみてほしい。
今日から、他人の目を気にして選んできたものを一つずつ見直してみてや。「これは本当に自分の望みなんか?」って、自分の心に問い直す勇気を持ってみてほしい。
自分の人生のハンドル、もう一度自分の手で握り直そうや。あんたの「正解」は、あんた自身が決めてええ。その一歩を踏み出す覚悟が、これからの人生をきっと変えてくれるで。
「孤独」を避けずに、ひとりで考える時間を持つ
最近、周りの声や情報に振り回されて、自分がほんまに何を考えてるんか、よう分からんくなってへん?
SNSやニュース、家族や友だちの意見…気づいたら、誰かの価値観や期待ばっかり気にして、自分の本音がどこにあるんか見失ってもうてる。そんなときこそ、“ひとり”で考える時間をちゃんと持ててるか、自分に問いかけてみてほしいんや。
正直、孤独って怖いし、寂しいもんやと思う。でもな、周りの声が大きすぎると、自分の心の声なんてかき消されてしまう。誰かの意見や常識に流されて、ほんまに自分が望んでることや、大事にしたいことが見えんようになってしまう。
だからこそ、あえて孤独に身を置く勇気を持ってほしい。スマホを置いて、テレビも消して、静かな部屋で自分だけの時間を作ってみてや。
「俺は、これから何を選ぶんや?」って、自分に問いかけてみる。その問いに真正面から向き合えるのは、誰の目も気にせんでええ“ひとり”の時間だけや。孤独の中でしか見つからん答えもある。周りの雑音が消えたとき、初めて心の奥底から湧いてくる本音に気づけることもある。
人生を自分の手で軌道修正したいなら、まずは“ひとり”の時間を恐れずに大切にしてほしい。たとえ最初は不安や寂しさを感じても、その静けさの中でしか出会えへん自分の本心が必ずある。
今日、ほんの数分でもええから、誰にも邪魔されん時間を作って、自分の心とじっくり向き合ってみてや。その積み重ねが、あんた自身の人生を取り戻す大きな一歩になるはずや。
謝るんやなく、“向き合う”時間を持つ
これまでの人生で、過去の自分を責めてばっかりやったこと、ない?「あのとき、もっとちゃんとできてたら」「なんであんな選択したんやろ」って、何度も頭の中で繰り返して、後悔ばっかり積み重ねてしまう。家族と距離をとった理由や、自分の弱さから目を背けた瞬間――思い出すたびに胸が痛くなって、つい謝ってばかりの自分になってへん?
でもな、過去の自分を責めて謝るだけやと、何も変わらへん。どれだけ「ごめん」って言い続けても、失った時間は戻ってけえへんし、心の奥底に残るのは自己嫌悪と虚しさだけや。
ほんまに大事なんは、謝ることやなくて、「なんであのとき、そうせざるを得なかったんか」「自分は何を恐れて、何から逃げてたんか」。その理由とちゃんと向き合うことやと思う。弱さや情けなさも、ちゃんと見つめてやることで、初めて自分を許すことができるし、「これからどう生きたいか」っていう新しい選択肢も見えてくる。
言い訳をやめて、本音で向き合う勇気を持ってみてほしい。家族や大切な人に対しても、まずは自分の気持ちを正直に伝えてみる。過去の過ちや弱さを隠さずに認めることで、心の重荷が少しずつほどけていく。
失った時間は取り戻されへんけど、これからの自分は変えられる。謝るだけの毎日から抜け出して、「向き合う」時間を自分にプレゼントしてみてや。その一歩が、きっとあんたの未来を明るく照らしてくれるはずやで。
「自分だけの答え」に触れる時間を持つ
最近、誰かの言葉や世間の価値観に流されて、自分の本音がどこにあるんか分からんようになってへん?
人の意見ばっかり気にして、ほんまは自分が何を考えてるか、何を望んでるか、見失ってまうこと、誰にでもあると思うんや。
そんなときこそ、静かな時間をつくって、自分の中から出てきた“あんたの言葉”にじっくり触れてみてほしい。本を読んでもええし、日記をつけてもええ。大事なんは、誰かの正解や流行りの考えやなくて、自分の心から生まれてきた小さな声を、ちゃんと拾うてやることやと思うねん。
たとえそれが、ちっぽけに思えたり、まとまりのない言葉でもええ。誰のものでもない“自分の答え”を見つけることが、自分らしさの輪郭を取り戻す一番の手がかりや。
人と比べたり、周りの期待に応えようとするうちに、自分の気持ちがどんどん遠ざかってしまうこともある。でも、静かな時間に自分の内側と向き合ってみたら、今まで気づかへんかった本音や、ほんまに大切にしたいことが見えてくる。自分自身の言葉を大事にすることで、他人の意見に振り回されず、しっかりとした自分の軸を持てるようになるはずや。
今日からでええ。ほんの数分でも、静かな場所で自分の心に耳を澄ませてみてや。ノートに思ったことを書き出してもええし、声に出してみてもええ。
自分の中から出てきた言葉を大切にする時間を、毎日の中に少しずつ増やしていこうや。その積み重ねが、あんたの「自分らしさ」を取り戻す大きな力になるんやで。
誠実な沈黙の時間を持つ
毎日がバタバタしてて、自分の気持ちをゆっくり見つめる時間、ちゃんと持ててる?家族や職場の声に囲まれて、ほんまに大事なことほど、いつの間にか聞こえへんようになってへん?
忙しさや責任を理由に、自分の本音から目をそらしてしまうこと、誰にでもあると思うんや。
でもな、ほんまに自分を取り戻したいなら、まずは“誠実な沈黙”の時間を大切にしてほしい。周りの騒がしさの中では、心の奥底にある本当の声はなかなか届かへん。せやからこそ、自分にだけはウソをつかんと、そっと向き合う時間を作ってみてや。ただ自分の心と向き合う。そのとき、「ほんまはどうしたいんや?」って自分自身に問いかけてみるんや。
最初は落ち着かんかもしれへんけど、その沈黙の中にしか、あんた自身の本音は存在せえへん。ごまかしのない時間を持つことで、今まで気づかへんかった気持ちや、心の奥に隠れてた願いが、少しずつ顔を出してくる。
誰かの期待や常識に流されるんやなくて、自分の本当の声をちゃんと聞くこと。それが、自分らしさを取り戻すための一番強い行動やと思う。
今日からでええ。ほんの数分でも、静かな場所で自分の心と向き合う時間を作ってみてや。その積み重ねが、きっとあんたの人生を変える大きな力になるはずやで。
誰かの期待に応えることと、自分を大切にすること
誰かの期待に応えることは、ほんまに大切やと思う。家族や友だち、職場の人から「頼りにしてるで」「あんたやから任せたい」って言われたら、応えたい気持ちでいっぱいになるし、その信頼に応えようと必死で頑張ってしまう。それは決して悪いことやない。人と人とのつながりの中で生きているからこそ、誰かのために動ける自分を誇りに思ってええんや。
でもな、ずっと誰かの期待だけを背負い続けていると、気づかんうちに自分の本当の気持ちがどこか遠くに置き去りになってしまう。周りの声に合わせて頑張ることは素晴らしい。でも、その重さに心がすり減って、「もう限界や」って涙がこぼれそうになる日もあるやろ。
そんなときは、どうか自分自身にも優しい言葉をかけてあげてほしい。「今日もよう頑張ったな」「しんどい中でも、ちゃんと生き抜いたな」って、自分の存在を認めてあげる。それは誰かに褒めてもらうよりも、もっと深く心に響くもんや。
どれだけ小さなことでも、自分で自分を褒めてあげることが、心の栄養になる。時には弱さを見せて、誰かに助けを求めることも勇気のひとつやし、それでええ。無理して笑うんやなくて、心の底から笑える日を目指してほしい。誰にも見えへんところで、毎日を生き抜いているあんたの姿は、ほんまに誰にも負けへん輝きや。
自分を大切にすることは、決してわがままやない。自分の心の声を無視せず、焦らず、ゆっくりと歩いていこうや。どんな日も、あんたの歩みにはちゃんと意味がある。もし今、自分を責めてしまうことがあったら、どうか思い出してほしい。あんたは今日も、ちゃんと生きてる。それだけで、十分価値があるんやで。
ここまで読んでくれて、おおきにやで。こっちの記事もおすすめやから、読んでみてや。
【頑張れん自分を責めんといて|オカンの言葉が教える心の軽くする秘訣】
自分に優しくなるヒントがいっぱい入ってるで。
最後に:オカンからの手紙
「顔で笑っても、心で泣いてたらアカン。アンタの心、ちゃんと連れて歩きぃ。しんどいときは、休んでもええんやからな。」
――オカンより
【免責事項】
※本記事は、筆者の個人的な体験や意見に基づいて執筆されたものであり、医療・心理的な助言を提供するものではありません。心身の不調を感じた場合は、専門の医療機関にご相談ください。
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