一日中「お世話になっております」とか「ご確認のほど、よろしくお願いいたします」とか、そんな敬語ばっかり使ってたら、ふと「あれ?自分の言葉、どこ行ったんやろ?」って思うことあるやん?
ほんまは腹立ってたり悲しかったりするのに、「ご指摘ありがとうございます」って本音を隠して丁寧な言葉だけ並べてる自分がいてる。
帰りの電車で、なんか涙出そうになることもあるわ。自分の気持ち、誰にも言えんまま飲み込んで、どんどん重なっていく感じや。
そんなとき、オカンが昔言うてた「敬語にも心は込められるもんやで」って言葉を思い出すねん。
今、言葉に迷子になってるあんたに、今日の話を届けたいんや。
社会人になったら「自分の言葉」が使われへん理由
社会人になってから、「自分の言葉」を素直に使う機会って、ほんまに減ってもうたなって感じる人は多いんちゃう?
仕事では敬語やマナーが重視されて、どこか自分の本音や個性が隠れてしまう。ほんまは「こう言いたい」「こう伝えたい」って思ってても、つい無難な言葉や定型文に頼ってしまうこと、誰しも経験あるはずや。
そんなとき、ふとオカンが昔言うてたことを思い出す。「敬語でもええねん。心がこもっとったら、相手にはちゃんと伝わるんやで」って。
あのときは、正直ピンと来てへんかった。敬語って、ただの形式や決まりごとやと思ってたし、自分の気持ちなんて消えてしまうもんやと思い込んでた。
でも、今になってようやく分かる。どんな言葉を使うかよりも、その言葉にどれだけ気持ちを込められるかが大事なんやって。言葉そのものを失うより、気持ちを押し殺してしまうことのほうが、ずっとしんどい。
社会の中で「ちゃんとした大人」でいようとするほど、自分の本音が遠ざかってしまう苦しさ――それはきっと、誰もが一度は感じたことがあるやろう。
自分らしさや本物のコミュニケーションを大切にしたいと願う今やからこそ、オカンの言葉が胸に響くんや。
敬語でも“気持ち”は伝わると気づいた瞬間
社会人になってからは、上司の顔色をうかがい、取引先の機嫌を気にして、後輩のフォローにも気を配る毎日。
「失礼がないように」って常に気を張って、丁寧な敬語ばかりを使ってきた。そんなふうに自分の本音を抑えて、ただ“正しい社会人”でいようと努力してきたんや。
でも、ある日、後輩の女の子がふとこんなことを言うてくれた。
「俺さんのメールって、すごく優しいですね。あれで救われること多いんです」って。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがほどけて、思わず泣きそうになった。
「優しい」って、ちゃんと誰かに伝わってたんや。敬語や定型文ばかりのやりとりでも、自分の中にある“ほんまの気持ち”が、ちゃんと相手に届いてた。形式的な言葉でも、心を込めていれば、それは相手に届くんやと実感できた出来事やった。
この経験を通して、言葉の形式にとらわれすぎず、自分なりの思いや優しさを大切にすることの意味を改めて考えさせられた。
オカンの言葉が胸に刺さった夜
社会人2年目の頃やった。朝から上司に怒鳴られて、昼ご飯も喉を通らんまま、クタクタになって家に帰った日があった。
玄関で「ただいま」って声をかけたものの、自分でも分かるくらい、心ここにあらずやった。そしたら、台所からオカンが顔を出して、「あんた、声に魂入ってへんがな」って笑いながら言うてきたんや。
その一言に、思わず「え、声に魂ってどういうこと?」って聞き返した。オカンは炊飯器のスイッチを押しながら、さらっと言うた。
「敬語でも何でもええ。けど、自分がほんまにそう思ってへんかったら、言葉なんか、すぐ嘘つきよるで」って。
その瞬間、今まで張り詰めてた心が一気に緩んで、涙が止まらんようになった。社会でどんなに揉まれても、オカンだけはちゃんと自分を見てくれてるんやと、改めて気づかされた。
普段は気づかれへんけど、家族の一言って、時にどんな励ましよりも深く心に響くもんやなと実感した瞬間やった。
“敬語の仮面”の下にある本当の自分
そのあと、オカンはちゃぶ台のところに座って、あったかいお茶を差し出してくれた。
ゆっくりとした口調で、「“お疲れ様です”や“ありがとうございます”も、心込めたら全部あんたの言葉になるんやで。敬語の仮面かぶってても、中身はあんたの顔のまんまや」って続けた。
その言葉が、じんわりと胸に染みていった。
社会に出ると、どうしても「良い大人」でいてなあかんってプレッシャーがあって、周りの期待に応えようとするあまり、自分の本音や個性を押し殺してしまいがちや。
でも、オカンの言葉を思い出してみると、どんなに敬語や定型文で取り繕っても、その奥にある気持ちは消えてへん。むしろ、心を込めて伝えれば、敬語であってもそれはちゃんと「自分の言葉」になるんやと気づかされた。
その夜、オカンの温かいお茶と優しい言葉に背中を押されて、「明日も頑張ろう」って思えた。迷子になってた自分の言葉は、実は胸の奥にちゃんと残ってたんや。
社会の荒波に揉まれても、自分の中にある“ほんまの気持ち”を大切にしたい――そう思わせてくれた、忘れられへん夜やった。
敬語でも“心”を込めれば、想いはちゃんと伝わる
せやから、敬語を使うことに不安を感じたり、「自分の言葉が迷子になってるんちゃうか」って思うことがあっても、気にせんでええんや。
ほんまに大切なんは、どんな言葉を選ぶかより、その言葉にどれだけ“心”を込められるかやと思う。たとえ敬語や定型文ばかりのやりとりでも、自分が相手のことを思って発した言葉なら、その想いはちゃんと伝わる。
形式ばった言葉や、よそよそしい表現に思えるかもしれへんけど、そこに自分なりの優しさや気遣いが込められていたら、相手の心にもしっかり届くもんや。
実際、社会で働いていると、どうしても「ちゃんとした大人」でいなあかんというプレッシャーや、周りに合わせなあかん空気がある。でも、そんな中でも自分の気持ちを大切にして、言葉に込めていくことが、ほんまの意味での「自分らしさ」やと思う。
敬語や定型文を使いながらも、そこに自分の温度や想いを乗せることができれば、どんな場面でも本物のコミュニケーションが生まれるはずや。
もし今、「自分の言葉が見つからへん」って感じてる人がいたら、まずはどんな小さな場面でも、自分の気持ちを込めて言葉を発してみてほしい。
きっと、その一言が誰かの心を温めたり、励ましたりする力になる。敬語や形式に縛られすぎず、自分の想いを大切にして、これからも言葉を届けていこうや。それが、きっと自分自身を取り戻す一歩になるはずやで。
迷子になった“ことば”と“こころ”の見つけ方
「なんて言うたらええんか分からん」とか、「ほんまは違うねんけど、うまく言われへん」――そんなふうに、言葉が詰まってしまう瞬間、誰にでもあるやろ。
敬語を使えば使うほど、「ちゃんとせな」「ええ人に見られたい」って気持ちが強くなって、自分の本当の気持ちが見えんようになってまうこともある。
完璧であろうとするプレッシャーに押されて、気づいたら自分の言葉がどこか遠くへ行ってしまったような気分になること、きっと一度は経験したことがあるんちゃうかな。
でもな、迷子になった気持ちや言葉は、探そうとすればちゃんと見つかるもんや。自分の本音や本物のコミュニケーションを大切にしたいと思うなら、焦らずゆっくり、自分の中に問いかけてみたらええ。
迷っても、立ち止まっても大丈夫。どうしたら自分の気持ちを見つけられるか――これからいっしょに、その答えを探していこか。
「なんでそう思ったん?」って、自分に聞いてみる
「なんで自分はそう感じたんやろ?」って、そんなふうに自分自身に問いかけたこと、ある?
普段は、自分の心の声にはあまり耳を傾けへんやろ。でも、イライラしたときや、なんとなくモヤモヤしてるときこそ、自分に優しく「なんでやろ?」って聞いてみることが大切やと思う。
たとえば、仕事でちょっとしたことで腹が立ったときや、誰かの言葉が引っかかったとき、そのまま流してしまわずに、「ほんまは何が気になったんやろ?」って自分に問いかけてみてほしい。
そうやって自分の心と対話していくと、普段は気づかへんかった本当の気持ちや、奥に隠れてる理由が、少しずつ顔を出してくることがある。
たとえば、「なんでイライラしたんやろ?」って考えてみたら、実は自分が認めてほしかっただけやったり、誰かに頼りたかっただけやったりする。そういう自分の本音に気づけたら、無理に感情を押し殺さずに済むし、次にどうしたらええかも見えてくるんや。
自分の気持ちを知ることは、決して恥ずかしいことやない。むしろ、自分を大切にする第一歩や。
今日から、何か心がざわついたときは、誰かに話しかけるみたいに、自分にも「なんでそう思ったん?」って優しく問いかけてみてほしい。
きっと、今まで気づかへんかった自分の本音や想いに出会えるはずやし、それが自分らしい言葉を取り戻すきっかけにもなるはずやで。
感情を“言葉”にする練習をしてみる
自分の気持ち、ちゃんと言葉にできてる?
これからは、自分の感情に“名前”をつける練習を始めてみてほしいんや。「なんかイヤやった」でも、「悲しかった」「ムカついた」でも、どんな言葉でもかまへん。大事なんは、心の中にあるもやもややざわざわを、そのまま放っておかんと、少しずつでも“言葉”にしてみることや。
最初はうまく表現できへんかもしれへん。でも、「今の気持ち、なんやろ?」って自分に問いかけてみて、「あ、ちょっと寂しかったんやな」とか「ほんまは悔しかったんやな」って気づけたら、それだけで自分の心の声がはっきり聞こえてくるようになる。
感情に名前をつけることで、自分の中にあった気持ちが輪郭を持ち始めて、ただのもやもやが、ちゃんと自分の一部として受け止められるようになるんや。
こうやって自分の感情を言葉にする練習を続けていくうちに、少しずつ自分の本音や本当の気持ちが分かるようになってくる。もし「うまく言えへん」って感じても、焦らんでええ。小さな一歩でも、心の中にあるものを言葉にしてみることが、自分らしいコミュニケーションや自己理解につながるんやで。
今日から、どんな小さな感情でもええから、「今の自分はどう感じてるんやろ?」って自分に問いかけて、出てきた気持ちにそっと名前をつけてみてや。
きっと、今までよりも自分の声がクリアに聞こえてくるはずやし、自分自身ともっと仲良くなれるはずやで。
「〜すべき」より、「ほんまはどうしたい?」を大事にする
「ちゃんとせなあかん」「怒られへんように言わな」――そんなふうに、“〜すべき”って自分を縛ってしまうこと、ようあるやろ?
でも、そうやって周りの期待やルールばっかり気にしてると、だんだん自分の本当の気持ちが見えんようになってまうんや。そんなときこそ、「ほんまは自分、どうしたいんやろ?」って、自分自身に問いかけてみてほしい。
たとえば、無理して空気を読もうとしたり、みんなに合わせようと頑張ってしまうとき、「自分は本当は何を望んでるんやろ?」って一度立ち止まって考えてみる。すると、心の奥底に隠れてた“ほんまのことば”が、ふっと顔を出すことがあるんや。
「〜すべき」っていう考えは、社会で生きていくうえで必要な場面もあるけど、そればっかりにとらわれてしまうと、自分らしさや本音を置き去りにしてしまうことになる。
だからこそ、「自分はどうしたい?」っていう問いかけを大切にして、自分の気持ちに正直になってみてほしい。
その小さな問いかけが、自分らしい言葉や行動につながっていくし、自分自身をもっと大切にできるきっかけにもなるはずや。
今日から、「〜すべき」よりも「ほんまはどうしたい?」を意識して、自分の中の本音に耳を傾けてみてや。
書いてみる、読み返してみる
話すのが苦手やったら、まずは書いてみるってどうやろ?
ノートでも、スマホのメモでも、どんな形でもかまへん。しんどかったこと、うれしかったこと、なんとなく心に残ってること――ざっくりでええから、とにかく言葉にしてみるんや。
書くことで、頭の中でぐるぐるしてた気持ちが、少しずつ整理されていく。最初はまとまってなくても大丈夫。思いつくままに書き出してみてほしい。
そして、少し時間が経ってから読み返してみると、「あ、これが自分の本音やったんや」とか、「ほんまはこう言いたかったんやな」って、自分でも気づいてなかった気持ちが見えてくることがある。書くことで心の中がクリアになって、自分の声がちゃんと聞こえてくるようになるんや。
言葉にするのが難しいときこそ、書くことは自分自身と向き合う大事な手段になる。今日から、どんな小さなことでもええから、自分の気持ちを文字にしてみてや。
書いて、読み返してみる。その繰り返しが、自分の本当の想いや言いたかったことを見つけるきっかけになるはずやで。
安心できる相手に、下手でも話してみる
うまく話せなくても大丈夫やで。安心できる相手になら、下手でもええから思いきって話してみてほしいんや。
言葉がグダグダになっても、涙が混じってしまっても、全然かまへん。「ちゃんと話さな」「きれいに伝えな」なんか思わんでいい。大切なのは、あんたの中にある本当の気持ちを少しでも外に出してみることや。
信頼できる人との会話は、上手な言葉よりも、心から出た“ほんまの声”が伝わるもんや。安心できる場所や相手の前では、意外と自分でも気づいていなかった本音がふっとこぼれることがある。
完璧な言葉やなくていいし、途中で詰まっても、感情があふれても、それでええ。
まずは一歩、気持ちを話してみることから始めてみてや。きっと、あんたの本当の声が届く瞬間があるはずやし、それが自分自身をもっと大切にするきっかけにもなる。
あんたの言葉は、これからも生き続けるんやで
どれだけ敬語を使っていても、あんたの言葉はちゃんと息づいてる。
自分の気持ちが見えにくくなったり、「本当の自分の声は消えてしまったんやろか」って不安になることもあるやろ。でも、それは人のことを思いやれる、あんたのやさしさがあるからこそや。
人を大切にしようとする気持ちが、いつの間にか自分を後回しにしてしまうこともあるけど、それは決して悪いことやない。
言葉は、形やルールにとらわれていても、心をこめて紡げば、ちゃんと自分らしさがにじみ出るもんや。たとえうまく言えなくても、伝えたい気持ちがあれば、その声は相手に届く。
これからは、人にやさしくするのと同じくらい、自分自身にもやさしい言葉をかけてあげてほしい。日々の中で自分の本音を見失いそうになったときは、立ち止まって自分の声に耳を傾けてみてや。
あんたの言葉には、まだまだ力がある。これからも自分の心に正直に、あんたらしい言葉を大切にして歩んでいってほしい。
もし「理想の自分」と現実の自分の間で苦しんでいるなら、オカンの知恵から自己肯定感を高めるヒントをまとめた【理想の自分を追い求めて苦しい人へ|オカンから学ぶ自己肯定感の高め方】も、ぜひ読んでみてや。きっと、心が少し軽くなるはずやで。
最後に:オカンからの手紙
「敬語ばっかりでしんどいときは、心の中で『なんやねん、アホちゃうか』って、ちょっと毒づいてもええんやで。無理して全部きれいにまとめんでも大丈夫。そのぶん、ほんまに大切な人には、”ありがとうな”って、あんたの素直な声で伝えてあげて。その一言が、きっと誰かの心を温めて、あんた自身の世界も少しずつ変えていくんやから。」
――オカンより
免責事項
※本記事は、筆者の個人的な体験や意見に基づいて執筆されたものであり、医療・心理的な助言を提供するものではありません。心身の不調を感じた場合は、専門の医療機関にご相談ください。
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