「もう無理や…」って、誰もが一度は心の中でつぶやく夜があるんや。夜が深うなって静かになるほど、昼間は無理して笑ってたぶん、心の中のホンマの声がよう聞こえてくるもんやな。家に帰って一人になった瞬間、フッと力が抜けて、膝から崩れ落ちそうになる。
仕事でミスした、信じてた人に裏切られた、どんだけ頑張っても報われへんかった。生きてたら、そら、こんなことは山ほどある。せやけど、それが一気に重なった瞬間、心はパキッと、音を立てて折れてしまうんや。
そんな時、オカンがいつも言うてた言葉があるんや。
「枝は折れても木は生きとるんやで。折れたとこからまた新しい芽ぇ出るんや。」
昔は「何言うてんねん」て思っってたけど、今ならようわかる。「折れる」って、終わりやないねん。次の形に変わる合図なんや。折れたんは、アンタの「弱さ」なくて、「変化のチャンス」や。人生という木は、たとえ枝が折れても、根っこがしっかりしとる限り、決して枯れたりせえへん。
折れた経験は、アンタをもっと太く、強く、しなやかにする肥料になるんやで。安心して、その痛みを抱きしめたらええ。
折れるって、弱さやない。形が変わるだけや
オカンはな、「人は折れるたびに優しくなる」って、よう言うとったんや。
これはホンマやと思うで。「心が折れる」いう経験は、決してマイナスなことやない。むしろ、アンタに”深み”と”温かさ”を与えるための、大切な工程なんや。
たとえば、誰かに傷つけられたことがある人ほど、他人の小さな痛みに気づけるようになるやろ。大きな失敗した人ほど、一生懸命頑張ってる誰かを心から応援できる。「折れた経験」は、アンタの人生をより豊かにする、かけがえのない教訓と優しさになるんや。
ピンと張ったまっすぐな枝は、強そうに見えるけど、強い風が吹いたらポキッと折れてしまいがちや。せやけど、曲がったり、一度折れてから伸びた枝は、風をうまーく受け流して、また空に向かって立ち上がろうとする。
折れた枝は、硬いだけの強さやのうて、”しなやかさ”っていうホンマの強さを手に入れるんや。「強くなりたい」って思う人ほど、まず「折れてもまた立ち直る勇気」を持ってほしい。アンタのしなやかな心こそが、この世の中を生き抜くための、最高の武器になるんやからな。折れても、曲がっても、アンタは前に進んでるんやで。
公園のベンチで泣いた夜、届いた一本のメール
あれは、めっちゃ寒い冬の夜やった。会社でミスして、上司にどやしつけられて、部下にも迷惑かけてもうて。自分のせいで全部が壊れたような気がして、家にも帰る気になれへんかった。
冷え切った公園のベンチで、缶酎ハイ片手に、人目も気にせんと泣きじゃくってた。「もう、終わりや…」って、完全に諦めてたその時や。ポケットの携帯がブブッと震えたんや。”オカン”からやった。
届いたメールは、たったこれだけやった。「生きとるだけでええ。枝は折れても木は枯れへん。」
誰にも言えへんかった、この胸の重たいもんを、たった一言でフワッと包み込んでくれた。その瞬間に、堰を切ったように、また涙がボロボロ溢れてきてん。
そして、ハッと気づかされたんや。「折れても、まだオレは生きてる」ってことに。
オカンのメッセージは、難しい話は一切なかったけど、何度も人生の壁にぶつかって、その都度立ち上がってきた“生きてきた重み”が宿っとった。あの短い一文が、どん底にいたオレを、絶望の淵から引き戻してくれたんや。その瞬間に、心が少しだけ軽くなった。
あの夜、オレを救うたんは、「生きているだけで価値がある」って教えてくれたオカンの温かい一言やったんやな。
オカンも、何度も折れた人やった
今、思い返してみたら、オレのオカンも、人生で何度となく心を折られてた人やった。
親父との喧嘩、生活の苦労、将来の不安。想像もできへんような困難に直面しても、オカンはいつも笑って、「うちは丈夫な木やから」って、自分に言い聞かせるように言うとった。
あの時のオカンの背中は、決してピンとまっすぐやなかった。少し、力が抜けて曲がってた。せやけど、その背中に抱きつくと、不思議と温かくて、安心できたんや。子供の頃は気づかへんかったけど、今ならわかる。あの少し曲がった背中、その不格好さこそが、人生で何度も傷つき、乗り越えてきた“折れた跡”やったんや。
オカンは、折れた跡を隠そうとはせえへんかった。むしろ、それを自分の歴史として受け入れて、それでも前を向いて生きる姿を、オレに見せてくれとった。やからこそ、オカンの言葉には、誰の言葉よりも重く、心に響く”説得力”があったんやと思う。
折れた経験があるからこそ、人は他人の痛みを知り、ホンマの優しさを身につける。心が折れてしもたアンタも、いつかその経験を力に変えて、誰かの支えになれるはずや。
アンタの折れた跡は、強さと優しさの”証”なんやで。
心が折れそうな夜の“過ごし方”
ホンマにしんどい夜ってのは、前向きな言葉なんか聞きたないし、かえってイライラしたりするもんや。せやけど、オカン流に言わせてもろたら、「過ごし方」だけは間違えたらあかんねん。心が折れた夜を、次の朝につなげるための過ごし方は、至ってシンプルや。
自分を責めすぎんこと
過去の自分を責め続ける癖は誰にでもあるけど、それは決して悪いことだけじゃないんや。
今の自分が「あの時もっとできたかも」と悔やむのは、成長したからこそ見えてくる感情やねん。でも、過去を責め続けても、いまの自分が苦しくなるだけや。大事なんは、その時の自分が精一杯選んだ道やったって、ちゃんと認めてあげることや思うで。
どんな結果になったとしても、その時のアンタは、その状況で考え抜いて選んだはずや。「よう頑張ったな」って声を掛けて、過去の自分をねぎらってみようや。
全部の経験は今のアンタをつくってる。しんどかったことも、今振り返れば「ようやったやん」って言える日が絶対くる。「今の自分も、過去の自分も、どっちも大事な自分や」って受け止めて、ほんの少しでも自分に優しくしてあげてほしいんや。
泣くことを我慢せん
涙は心に溜まったモヤモヤを外に出す、いわば「心のリセットボタン」や。
もし胸がつかえて苦しい時は、声を上げて子どもみたいに思いきり泣いてみてほしい。泣くことは決して弱さやない、むしろ自分の感情と向き合う”強さの証”や。
涙を流すことで心の中のストレスが少しずつ解放されて、心が軽くなる感覚をきっと感じられるはずや。泣き疲れて涙が枯れたら、一度深呼吸して、心の重荷が少しでも軽くなったことを自分で認めてあげてな。
そしてその後は、気持ちを新たに前を向く準備ができているはずや。だから、我慢せんと泣いてみて。今この瞬間の涙が、明日の元気へとつながる”大切な一歩”やで。
今日からでも、心が折れそうになったらそのまま涙を流すことを、自分への優しいケアとして始めてみてほしいんや。
誰かに話すこと
「弱音吐いたら迷惑ちゃうか」って思う人ほど、全部を一人で抱え込みすぎや。
けど、それは心にずっと重たい荷物を背負うようなもんやで。話すいうんは、決して弱さやないんや。信頼できる誰かに、自分の気持ちや悩みを少しだけ分けてもらうことで、心の負担が分散していくんや。
全部を解決せんでもええ。話してみるだけで、心の枝が少し軽くなり、呼吸がしやすくなるんやで。話すことで心にスペースができ、気持ちの整理や安心感も生まれる。
”迷惑かもしれん”って思うかもしれんけど、話す勇気は自分への大事なケアや。ほんまに辛い時は、遠慮せんと声を上げて、そっと”心の荷物”を誰かに預けてみてな。その一歩が、心を軽くしていくはじめの鍵になるんや。
折れた枝にも、ちゃんと光は当たる
まっすぐ伸びた枝だけがすごいわけやないんや。
どれだけ強い風に耐え、大雨に打たれても形がいびつになって残った枝には、その形なりの特別な“強さ”が宿ってるんやで。
人生もまったく同じや。不格好で、周りがどんどん動いていく中で自分だけ立ち止まってるように感じても、焦ることはない。”アンタの人生”っていう枝にも、太陽の光はちゃんと平等に当たってるからな。
むしろ、今この心が折れた瞬間こそが、次の新しい芽を出すための、最高で大事なタイミングなんや。
ここで焦って自分を責めんと、ゆっくり休んで、折れた場所からまたしなやかに伸び始めるんや。そのしなやかさが、”本当の強さ”であり、つらい経験を乗り越えたアンタの証や。
心の痛みも含めて、これまでのすべてがアンタを形作ってる。だから、自分を信じて前を向こう。
せやから大丈夫や。アンタの枝はこれからも太陽に向かって、必ず輝きながら伸びていくんやで。焦らんと、その時間をじっくり味わってな。
もし、心が折れた後で「自分なんか…」って自己肯定感が下がってしもうたら。
「失敗しても人生は続く|オカンの「飯はうまい」名言と自己肯定感の話」って言うオカンの別の名言の話も読んでみてな。
最後に:オカンからの手紙
「今日は無理せんでええ。泣いてもええし、何もせん夜があってもええ。ただな、明日の朝、「まだ生きてるな」って思えたら、それだけで充分や。「枝は折れても、根っこはしっかりしとる。」人生はそんなもんや。焦らず、自分のペースで、根っこを強くしながら歩んでな。」
――オカンより

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