誰にも頼られへん、そんな毎日に疲れてへんか?
「全部、自分でやらなアカン」って思ってへん?
仕事も家のことも、ちょっとのお願いすら「申し訳ない」
ほんで気ぃついたら、
それ、アンタのせいやない。
世間が「迷惑かけたらアカン」ってずっと言うてきたからや。
でもな、うちのオカンはちゃうかった。
「人に頼るのも、技術やで」って、よう言うてたんや。
「人に迷惑かけたらアカン」より、「人に頼ってこそやで」って、オカンは言うてたんや
「自分で抱えすぎたら、壊れるのは心や」ってオカンの口癖やった。
頑張り屋さんほど、人に頼るのがヘタやねん。
「こんなん頼んだら迷惑かな…」って遠慮して、
でもな、それが一番、
“しんどい”って出してくれる人が居るから、周りも「
頼ることって、実は“場の空気”をあったかくする力があるんや。
「なんも持ってこれへん時は、“箸”だけでええ」|オカンが教えてくれた、助け合いのほんまの意味
昔な、うちの町内では寄り合いがようあってん。
回覧板で「〇〇さんちで鍋やります〜」ってまわってきたら、
みんな自然と“もちより鍋”の準備や。
「うちは白菜持ってくで」「うちはうどんあるわ」って、なんや知らんけど、それぞれの“家の味”を持ち寄るんが当たり前になってた。
うちのオカンは、そんな日が大好きでな。
朝からえらい張り切って、「今日は鶏のつくね仕込むねん」とか言うて、台所で歌いながら包丁トントンや。
寄り合いいうても、ほんまの目的は“食べながらしゃべること”なんやって、オカンはよう分かってたんやろな。
そんなある日、一人のおばちゃんが、申し訳なさそうな顔して会場の玄関に立っとってん。
手ぶらで。
「ごめんな…なんも持ってこれへんかってん。冷蔵庫すっからかんで…」って、気ぃ遣いながらポツリ。
そしたらうちのオカンが、笑いながらこう言うたんや。
「ええねん、ええねん!なんもないときは、“箸”だけ持ってきたらええ。アンタが食べてくれるんが、一番嬉しいんやから。」
その瞬間、場の空気がふわっとあったこうなってな。
おばちゃん、ちょっと泣きそうな顔して「ありがとう」って言うて、そっと輪の中に入ってきた。
その光景が忘れられへん。
人って、「役に立たな」って無意識に思ってしまうとこあるやん?
“何かを持っていかな”“自分も貢献せなあかん”って。
でもそれができへん日は、ほんまに肩身狭いもんや。
せやけどオカンは、そんなん全部ひっくるめて包み込んでた。
「食べること」「笑うこと」「一緒に居てくれること」――それだけで、ちゃんと“参加してる”って認めてくれてたんや。
あのとき自分まだガキやったから、ただの鍋の集まりやと思ってたけど、ほんまはあれ、人と人が「頼り合うこと」を自然に学べる場やったんやなって、今になって思う。
人に頼ることって、迷惑やなくて「信頼」なんやな。
助けてもらうことも、ちゃんと“役目”なんやって。
そんな風に思えるようになったんは、オカンのあの一言のおかげや。
「なんもないときは、“箸”だけ持ってきたらええんやで」――その言葉は今も、心が冷えたときにふわっと温めてくれる“金言”や。
「頼る」は甘えちゃう、「信じる」ってことや
- “助けて”って言う勇気、出してみてな
→ 最初は勇気いるけど、言うたあとのほうが心が軽なってるはずや。 - 「お願い」が言いにくいなら、「相談」から始めたらええ
→ 頼るって、選択肢を一緒に考えてもらうことからでええんよ。 - 受け取ってくれる人は、“ありがとう”の言葉がご褒美になる
→ 相手にとっても、“頼られる”って嬉しいもんやねん。
「一緒に生きる」って、頼り合うことやと思うねん
誰かに助けてもらうって、かっこ悪いことやない。
むしろ、それを“受け取れる人”が一番かっこええんや。
オカンの金言はな、「強さは、ひとりで頑張ることやない。
明日も、ちょっと誰かに頼ってみてな。
きっとアンタの周りにも、“もちより鍋”を囲みたがってる人、
- 「迷惑かけたらアカン」は、思い込みやった。
- 頼ることは、“信じる”こと。
- オカンの金言「もちより鍋」から学ぶ、助け合いの美学。
【免責事項】
本記事は、心を軽くするヒントを共有するものであり、
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