しんどい夜を抱えてる、あんたへ
「明日も頑張らなあかん」そんな言葉を、無意識に何回も自分に投げてへん?
ほんまは、もう頑張りすぎて”ヘロヘロ”やのに。
それでも止まったらあかん気がして、誰にも”頼られへん”まま進んでる。
そんなあなたに今日は、うちの”昭和オカン”がさらっと言うた、“たった一言で心が軽くなった金言”を届けたい。
「道はあとで名前つけたらええんやで」って、オカンは笑うてた。
あれは、大学を辞めようかと悩んでたときのことや。
入ったのはそこそこの大学やけど、想像してた世界とはちゃうかった。
授業も人間関係もなんか馴染まんくて、気づいたら、登校もしんどくなってた。
「こんなとこにいても意味ないんちゃうか…」
何度もノートに「退学届」って書いては消してた。
でも、辞めたらどうなる?
親に申し訳ない、就職どうすんねん、そもそも逃げなんちゃうか。
もう、心の中がぐっちゃぐちゃでな。
そんなある日、家に帰っら、オカン、いつも通り晩飯の支度してたわ。
そんで台所で切り干し大根炒めながら、重たい声で言うたんや。
「大学……辞めようかなって、思ってる。」
沈黙、包丁のトントンだけが響いてた。
うわ、やってもうた、怒られるかな。
泣くんちゃうか、そっからの人生説教やろな……って思ったら。
オカン、顔をこっちに向けずに言うてきたんよ。
「ほな、辞めたらええやん。」
ポカーン、や。
「えっ……怒らへんの?」
「怒っても、あんた通う気ないんやろ?」
それから一呼吸おいて、こう続けた。
あんたな、人生の道ってな、あとで名前つけたらええねん。
今は大学辞めた人の道かもしれんけど、
10年後には“この道でよかった”って言えるかもしれんやろ?
正直、その言葉が、どれだけ心を軽くしたか。
正解なん”あとで作ったらええ”。
あのとき気づいたんや。
大学に“残るか辞めるか”っていう選択肢を「どっちが正解か」って軸でしか考えてなかった。
でもな、人生って、そのときの”選択”が正解かどうかなんて、あとでしかわからんのよ。
今辞めても、結果的に“良かった”って思える未来がくるかもしれん。
今辞めんと“後悔”する日が来るかもしれん。
でも、それって誰にもわからん。
ましてや、”19歳”そこらの自分が知るわけない。
それなら、オカンの言う通り「今はこれが自分の道やって決めて、あとから名前つけたらええ」んやって。
オカンって、なんでそんなうまいこと言えるんやろな?
改めて思うけど、うちのオカンって、学歴もキャリアもないし、スマホの操作もできへん。
けどな、人生の”核心を突く言葉”だけはよう知ってるんよ。
しかも、あの人のすごいとこは“まるで天気の話するみたいなテンションで名言をぶっ込んでくる”とこや。
なんでそんな風に言えるんやろな。
たぶん、自分もずっと迷いながら生きてきたからなんやろな。
“正しい”かどうかじゃなく、“納得できるか”で選ぼうや。
人生って、正解探ししてたらキリがない。
それに、正しい道ってたぶん存在せぇへん。
それより、自分が「今、こっち行こう」って決めた道を、あとから「よかった」って言えるように生きていくことの方が大事なんやと思う。
そしてそれを後押ししてくれるのが、あの時のオカンの言葉やった。
明日をちょっとラクにする3つのヒント
1. 自分に「それでええ」と言うてあげる
今日、何もできんでもええ。
悩んだままでもええ。
「それでも生きとるやん」って自分を褒めたってな。
2. “今の気持ち”を信じてみる
“未来の保証”より、“いま”の自分の気持ちの方が、案外大事やったりする。
「なんか違う」って感覚を、ちゃんと大事にしてあげて。
3. 正解を探すんやなくて、“納得”を重ねる
間違っても、やり直しても、回り道しても、「あのときの自分、よう頑張ってた」って思える生き方をしよう。
道の名前は、あとで決めたらええ
人生に”迷った”とき、今もときどき思い出す。
オカンが言うた、あの言葉。
「道はな、あとで名前つけたらええねん。」
進んでみて、振り返ったときに初めて「ああ、この道でよかった」って言える瞬間がくる。
せやから、いま悩んでてもええ。
しんどくても止まっててもええ。
あんたが今いる場所、それがもう“ちゃんとした人生”や。
今、人生のことで悩んでるあなた。
その悩みの深さこそが、あんたが真剣に生きてる証拠や。
「道はあとで名前つけたらええ」って、この言葉が、明日を少し軽くしてくれたらうれしい。
あんたは今のままで、ようやっとる。ほんまに。
免責事項
※本記事は筆者の体験と感情に基づいたストーリーエッセイであり、医療・心理的なアドバイスを目的とするものではありません。精神的な不安を感じている場合は、専門機関にご相談ください。
コメント